
「よくできたメイキングビデオを見ているよう。」
というのが本作のエンドクレジットが流れた時点の私の感想だ。
私は彼、つまり本作の主人公であるMichael Jacksonが成し遂げた伝説の時代をほぼリアルタイムで生きてきた。
1983年、私が小学校3年生の頃、よく遊んでいた友達が口ずさんでいる歌があった。当時は全く知らなかったが、後年それが「Beat It」だと知った。
もっとも、私が洋楽に興味を持ったのは1989年のことである。すでに「Bad」の大ヒットの余韻も落ち着きを見せていた。
それまでは、Michael Jacksonと言うなんか有名な人が騒がれている、くらいの知識は持っていたが、洋楽にハマる前の私にとっては、興味も関心もなかった。
私が本当に彼の素晴らしさを知ったのは、洋楽に目覚めて以降のことである。
ただし、私が好きなMichael Jacksonの作品は、かのQuincy Jonesがプロデュースした三作品に限られている。「Off The Wall」「Thriller」「Bad」。
その前の70’sのジャクソン5の時代や90’sの「Dangerous」以降については、そこまで惹かれていない。つまり、私の知識などその程度である。
ただし、それを前提としても、Michael Jacksonの偉大さは素晴らしいと思う。
上に挙げた三作品だけで、King of Popの異名にふさわしいインパクトを地球上に与えた。この三作品だけでも彼の業績は不朽である。
それほど、偉大な人を演じるにあたっては、生半可な覚悟では務まらない。だが、本作におけるJaafar Jacksonの演技は文句のつけようがない。甥と言う恵まれた血統は差し引いても、光輝くマイケルをかなり忠実に再現していたと思う。さすが同じ血を引く一族である。
途中、Jaafar Jacksonの演じるマイケルが、本物のMichael Jacksonに見える場面も何度かあったほどだ。それほどの演技だった。
ただし、上で「光輝くマイケル」と書いたのには理由がある。
本作で描かれたコンサートシーンは真に迫っていた。そこに歌い踊るのは光輝くマイケル。
その光は、闇があってこそより映える。なのに、その闇は本作においては、平板に描かれているように感じた。
要は、闇堕ちしたマイケルが本作には見当たらなかった。
本作では、もっと凄惨な子供時代が描かれるかと思っていた。が、そうでもなかった。
冒頭に出てくる折檻のシーンで子役のマイケルが出す泣き声は真に迫っていた。そして、聞くところによると、父のJoseph Jacksonによる躾と称した折檻はかなり頻繁に行われていたそうだ。
闇が十分に描かれていないと書いた理由はもう一つある。
それは、本作で1969年の次に描かれるのが1978年だったことだ。そう、9年間が全く空白である。
この9年間は、マイケル少年が青年に成長するまでの期間にあたる。この時代にこそ、マイケルの苦悩がより鬱屈し、後年の飛躍へのバネになっていたと思うがどうだろうか。
この空白の9年にはソロデビューを成し遂げた「Got to Be There」や、直後にヒットした「Ben」など、初期の作品群のリリースが行われたトピックスも含まれる。
また、この時期は、思春期の真っ只中にあるマイケルが父からの独立を試み、自立に向けて様々な試みを始めた重要な時期だったはずだ。
ソロデビューへの段取りこそ、周囲の大人たちによって進められたかもしれないが、権威主義の父親からの干渉と葛藤から逃れるためにMichael Jacksonが努力を重ねたことは容易に想像できる。
本作のテーマが父からの独立であるならば、この時期の葛藤を描かないことが腑に落ちない。
光に対する闇とは、虐待や父との相剋など、外からの要因だ。
だが、晩年のMichael Jacksonが身に纏っていた危うさは、間違いなく彼の中から滲み出ていたものだ。本作が描いていたような外から照らされた闇ではない。
もちろん、Jaafar Jacksonの演技のそこかしこに、孤独と苦悩に負けまい、自分の人生を前に進めたいと願うマイケルの意思は十分に感じられた。彼の演技に陰影がなかったと難癖をつけるつもりはない。むしろ上に書いた通り、本物に見えたシーンがあったくらい引き込まれた。
ただ、上に書いた通り、私は本作で描かれるテーマが父との相剋とそこからの脱却だと勝手に早合点していた。そのため、それが私の中で違和感として残った。
また、本作でJoseph Jacksonを演じた役者さん(Colman Domingo)の演技は素晴らしかったが、そもそもジョセフがなぜ、息子たちに厳しい躾を施してまで育てようとしたのか。そこも描くべきではなかったか。
もちろん、本作ではジョセフはかなり一方的に悪く描かれている。だが、文章によると、Joseph Jacksonは苦労と野心を抱いた人物であったようだ。そのようなジョセフの屈折を描いた方が、マイケルを蝕んだ闇に彩りが加わったと思う。
結局、マイケルが蝕まれた闇の濃淡が本作には見えにくかった。それが私の感想だ。
父の影響から逃れるため、Michael Jacksonがどれほどの苦しみを経験したか、私は文章でしか知らない。そして、本作の後半で描かれたマイケルの努力は本物であり、賞賛に値する。
が、その結果は晩年のマイケルの心身に影響を与えた。その悲劇と父からの影響、そして巨大な成功がもたらした反動については、ゴシップとして下世話に扱われてしまっている。
なのに、マイケルに巣くう闇が描かれる前に本作は終わってしまった。
エンドクレジットが流れた時点で、これはマイケルの栄光が作り上げられるまでを描くメイキングビデオだと思ったくらいだ。
ただ、そう思っていた私の前でエンドクレジットの下から文章が上がってきた。「His story continues」。
それを見てようやく、本作にはひょっとしたら続編があるのかなと思った。
実際、Wikipediaによれば、本作には続編が予定されていると言う。
劇場を出て、一緒に見に行った妻と会話し、映画の内容を反芻し、パンフレットを読んで情報を得て、私は理解した。
本作はマイケルの生涯を、光と闇の二部作で描く構想であることを。本作は前編の光編だったのかもしれない。
そうであれば、後編も是非見に行きたいと思う。
闇が描かれたとて、今さらMichael Jacksonの偉大さが打ち消されたりはしない。
むしろ、その陰影の起伏があったからこそ、あれほどの傑作が作れたとさえ思う。
冒頭ではあまり聴いてこなかったと書いたJackson 5の一連の作品や、70’sの彼のソロアルバム、さらに90’sの「Dangerous」以降の作品も聴き直そうと思う。それによって彼の偉大さもさらに理解できるかもしれない。
‘2026/8/2 イオンシネマ新百合ヶ丘

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