
このところ、楽しみにしている毎年の恒例行事がある。
それは、毎年の私の誕生日の前後に次女と二人で映画を見に行くことだ。
今年は、スター・ウォーズのスピンオフストーリーである本作を二人で見に行った。
今までも次女とは『ミッション・インポッシブル』『トップガン』など、さまざまな映画を見に行った。そして、最近の次女は独りでもさまざまな映画を見ているらしい。
ところが、次女はスター・ウォーズ・サーガを今まで一度も見たことがなかったそうだ。そして今回、初めてスター・ウォーズ・サーガを鑑賞したらしい。見た結果、とても面白かったと喜んでもらった。そして、なぜ世界中でスター・ウォーズ・サーガの人気がこれほどまで高く、支持されているのか、ようやく理解できたと言っていた。
私も全く同意見である。本作はよくできていたと思う。
本編のスター・ウォーズ・サーガは続三部作(シークエル・トリロジー)が若干の盛り上がりに欠けたことは否めない。念のために補足しておくと、私としては、あれは一つのストーリーとしてきちんと起承転結が破綻なくできていると感じた。だから、特に難癖をつけるつもりはない。
ただ、スカイウォーカー一族の宿命を描くストーリーを軸にしていたため、広げた風呂敷を畳むにあたり、畳み方に窮屈な感じを受けた。要するにストーリーをある一つの理想に整合させることの難しさだ。物語の進行にどこか余裕のなさを感じたというか。それがそこはかとない違和感となって漂っていた。
世界中にファンが多くいるスター・ウォーズ・サーガ。中でもスカイウォーカーの物語は、畳み方、つまり結末についてのイマジネーションがファンによって千差万別である。また、期待も大きかった。それ故に毀誉褒貶も激しかったように思う。制作陣の苦心が察せられた。
そうした続三部作の窮屈さと比べ、本作からは肩の力が抜けていた。
もともと、マンダロリアンとグローグーは、テレビドラマシリーズで何シーズンかの実績があるコンビだそうだ。私はまだこのシリーズを見ていない。
本作はそのテレビシリーズの映画版であるが、どこに新しい軸を置き、新しいファンを取り込みながらも、従来のファンをいかにして納得させるか。そのバランスの取り方において、テレビシリーズだからこそ、より自由な物語が描けていたと感じた。
その自由さは、オープニングにも表れていた。タイトルの後にプロローグとして物語の前提条件を観客に伝える、画面手前から奥へと漂い消えていく文字。あの演出は1977年の第一作からスター・ウォーズの定番であった。それが本作にはなかった。さらにはジョン・ウィリアムズ氏のあの名作のタイトルテーマの音楽すらも聴こえない。
それでいながら、本作には、旧三部作を知る方には、お馴染みのボバ・フェットを彷彿とさせるマンダロリアンと、ヨーダを幼くしたらこんな感じだろうか、と愛くるしさを感じさせるグローグーが登場し、一目でスター・ウォーズの流れを汲んだ作品だと分かる。「May the Force be with you(フォースと共にあらんことを)」と誰かが言わなくても、フォースの存在はグローグーが幼いながらも物体を動かす姿から示される。
この二人の組み合わせがまた良い。
掟ゆえ、素顔をさらさず、言葉も最小限にしか話さないマンダロリアン。そして言葉は話さず、表情と仕草だけで感情を表すグローグー。
二人とも最小限の情報しか発さないにもかかわらず、そしてR2-D2やC-3POなど本編の9作に出てきたキャラクターがいないにもかかわらず、キャラクターの造形や周りの環境だけでスター・ウォーズ・サーガと分かる。この世界観の豊かさと強固さは、並大抵のものではない。
これはスター・ウォーズ・サーガを作り上げた先人たちの偉大さである。宇宙の機械的な画一的なイメージとは逆に、砂漠やジャングルの惑星を設け、キャラクターや多様性を含めた世界観を築き上げた成果である。
だからこそ、幼児返りしたようなグローグーの可憐さも愛嬌もあざとさを感じさせない。
むしろ、本作によって老いた賢者であるヨーダのイメージが書き換えられたと言っても過言ではない。さらに新たなイメージが与えられた。
老いは若きを助け、やがて逆になる。
“我らの道”。
本作にはこのようなセリフが登場する。
このセリフは、老いと若さの役割を逆にすることが、世の真理であることを示唆している。
それはつまり、輪廻転生だ。
つまり、旧三部作(エピソード4-6)によって作り出された老いた賢者=ヨーダのイメージを、無垢で純粋なグローグーに若返らせる。そしてグローグーはマンダロリアンに教わり、成長し、次代の英雄を教える側に回る。
そうやって社会は巡り、星々は興亡を繰り返す。
これは遠い昔の遠い銀河系の話でも、私たちが生きる地球でも変わらない。万物は流転し、必ず輪廻する。たとえ時間軸は違ったとしても、それは真理であると思う。
私と娘の関係も同じである。
かつては私が娘を映画に連れていき、最近は一緒に行動している。そしていずれは私も娘に映画に連れて行ってもらえる日が来るはずだ。
宇宙に通じる真理とは、成長と衰退が表裏一体であるということだ。つまり、スター・ウォーズ・サーガの描く哲学もその道に通じているように思えた。
また、他のスター・ウォーズ・サーガも追いかけてみたい。
まずはテレビシリーズ『マンダロリアン』を見始めるところから。
‘2026/6/7 新宿バルト9

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