罪人たち

映画を観、思いを致す

本作は評判になっていたため、見に行こうと思っていた。

偶然にも次女も同じ評判を聞いていたようで、見に行きたいと思っていたらしい。一緒に行くことにした。ついでに妻も誘って、3人で日比谷で観劇した。

さて、私は評判が高いとは聞いていたものの、ろくに本作のあらすじも知らずにスクリーンの前に座った。

まず結論からいうと、本作はとても面白かった。まさに前評判通りの傑作だと思う。
だが、その面白さはB級作品のノリと紙一重。下手すればB級映画の烙印を押されかねない、スレスレの演出を攻めていた。それが功を奏したのだろう。

あえてネタバレすると、本作は吸血鬼映画である。ホラーとは聞いていたが、まさか吸血鬼を題材にしてくるとは思わなかった。
だが、その使い古されたモチーフがかえって新鮮に感じられた。

というのも、我々が抱く吸血鬼のイメージは「ドラキュラ」だ。つまり西洋、トランシルヴァニアを舞台とした物語が定番。もちろん、登場するのは西洋人ばかり。白面の吸血鬼に白皙の美女が襲われる、そんなイメージがある。

そのイメージで見ると本作には違和感がある。本作はアフリカンアメリカン、つまり黒人の登場人物がほとんど。その中に吸血鬼を持ち込んだ発想がとても新鮮だった。

本作がユニークなのは、吸血鬼に加え、「悪魔に魂を売ったギタリストの伝説」を組み合わせていることだ。

映画では若くして卓越したギターテクニックを持つサミーが、演奏によって招かざるものまで呼び寄せる。
この設定には、ギタリストの伝説が影響していることは間違いない。

「悪魔に魂を売ったギタリスト」といえばロバート・ジョンソン。アメリカのブルースマンであり、寡作ながら伝説のギタリストとして音楽史に名を残す人物。
ジョンソンの伝説とはこうだ。ギターがあまりうまくなかったジョンソンが、ある日十字路(クロスロード)で悪魔に魂を売り、その代償としてギターの腕前を得たと言われている。

この悪魔に魂を売るという伝説と、ギター演奏で招かざるものを呼び寄せる設定の取り合わせが実に素晴らしい。

それらの素材を組み合わせることで、音楽・黒人・南部の風習・伝説が融合した。
さらにそこにホラー要素を絡めることで、オリジナリティあふれる本作が生まれた。
一つ一つの素材はありふれているが、監督・脚本・演出によってこれほどの化学反応が起きるのかと驚いた。

本作はこのような素材の融合に面白さがある。
しかし、融合だけではない。構造として「対立」にこそ注目すべきポイントがある。

本作を見終えて真っ先に思い浮かぶのは、黒人と白人の対立だ。
過去の歴史には明確な対立と差別があったが、本作ではそれを物語を駆動する力に昇華している。
今ではアメリカ国内で表立った黒人・白人差別は減ったのかもしれないが、ほんの数十年前までは、白人専用、黒人専用のトイレすら当たり前だったことはよく知られている。
作中悪役として描かれているKKKも、1930年代には大きく勢力を落としていたものの、人種差別の象徴的な団体であった。
その後、公民権運動などで状況は改善されたが、その背後で音楽における黒人たちの貢献が大きな役割を果たしたのは周知の事実。例えば「ウィ・アー・ザ・ワールド」はその成果を象徴する一例だろう。

本作のクライマックスの一つは、酒場で皆が踊り狂うシーン。
そこでは音楽が黒人と白人の枠、ジャンル、過去・現在・未来までを越えて場をひとつに融合させていく。

もう一つの対立は、生者と死者だ。
吸血鬼は生者ではない、つまり死者といえる。
本作のホラー要素は、生者に対する吸血鬼の襲撃に集約される。
しかし吸血鬼たちは、伝統的なしきたり――建物に招かれないと入れない、朝日が苦手、ニンニクや銀の杭が弱点など――に縛られる存在として描かれているのが面白い。
その所業は凄惨ながら、どこかユーモラスに映るのは、既存のしきたりに縛られる不自由さゆえかもしれない。

さらに興味深いのは、吸血鬼も音楽を愛すること。三人の白い肌の吸血鬼による見事なハーモニー、広場に集う吸血鬼たちによる宴。
音楽は生者も吸血鬼も団結・融合させる力を持ち、本作ではその力が人種・ジャンル・時間軸、さらには人間と異形の存在までも融合させる存在として描かれている。

「対立」と「融合」が本作のテーマだと感じた。

とはいえ、どうしても分かり合えない対立は残る。
融合を拒み、相手を理解しようとしない者は排除されるしかない。
例えば吸血鬼と生者は共存できず、吸血鬼たちは朝日に焼かれて塵となり終焉を迎える。
黒人と白人の対立も同じ。襲撃してきたKKKメンバーが銃で一掃されるシーンは、旧弊な差別意識を持つ白人が消え去るべき存在であるという強いメッセージだ。

ただし、本作の希望は、バディ・ガイ演じる老年となったサミーが生き残った吸血鬼たちに共存を許されていること。そして二人生き残った吸血鬼たちも生者と共存の道を選んだことに表れている。

共存の道を選ばない者は消え去るしかない、そんな強烈なメッセージを投げつつ、共存を選んだ者には道が開かれる。

まさに本作は傑作だと思う。B級に堕ちそうな素材を、メッセージ・ストーリー・演出・音楽で見事にまとめ上げている。
それらが融合し、大きな化学反応を生み出した。

‘2025/7/21 TOHOシネマズシャンテ

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