機動戦士Gundam GQuuuuuuX Beginning

映画を観、思いを致す

エンドクレジットがスクリーンに流れる中、私の頭の中には無数の「?」が浮かんだ。 その「はてな?」は、今見たばかりのこの映画、つまり本作をどう捉えればいいのか、という疑問だ。

実は私は、本作をまったく予備知識なしで観た。 私が事前に持ち合わせていた知識といえば、家のテレビで流れていたエルメスやララァ・スンの映像くらい。それも慌ただしい中、ちらっと視界の隅に捉えただけで、特に感慨も抱かなかった。 ガンダムで何か新シリーズが始まっていることはなんとなく知っていたし、新シリーズに古くからのファンをざわつかせる要素があることも、なんとなく耳にしていた。

しかし、日々入ってくる膨大な情報の中で、そうした情報はすぐに頭の片隅に追いやられてしまっていた。 つまり、私は本作を当初見に行くつもりはなかった。妻が友人に勧められ、誘われたことで今回観に行ったのだ。

興味がなかったのであれば、頭に「?」が浮かぶはずはない。 では、なぜ「?」が浮かんだのか。それは、私が1年戦争のガンダムをブーム時にリアルタイムで観た世代だからだ。正確にいうと、最初の再放送がされた1981年、私が小学2年生の時だ。 その時には、すべてをテレビの前で夢中になって観たし、当時ブームになったガンプラも無数に作った。それ以降も2回、全話を見直している。1回目は中学生の頃の再放送、2回目は大人になってから、今から10年以上前に学童のパパからDVDを借りたときだ。

『逆襲のシャア』も観たし、小説版も初代、Z、ZZと揃えている。漫画『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』も全巻持っている。

なので、1年戦争に関してはほぼすべてのストーリーが頭に入っている。

さて、本作。予備知識なしで観たにもかかわらず、知っているはずの光景が、予想を覆すストーリーとして目の前で展開されていく。 あれ?アムロ・レイはどこに? 赤いガンダム? ホワイトベースが鹵獲されてる? 地球連邦軍が敗北している? さらに、『逆襲のシャア』のラストシーンを彷彿とさせるエピソードが展開された後、物語は急展開して後半へと進む。

後半部分では、スペースコロニー内の人々のリアルな生活も描かれる。 一年戦争の時には「UNITED STATES」なんて言葉は出てこなかったはずだし、スマホのような端末を操作する描写もなかったなぁ、と観ながら思った。 本作はリアルなスペースコロニー内の生活を書き、ジオン公国が掌握するようになった世界線であっても、その辺の細かい描写を描いているため、話自体は理解した。しかし、前半のラストで消えてしまったシャアが後半にどう絡んでくるのか、結局わからないまま、物語は唐突に終わりを迎える。 そこで冒頭の「?」だ。私の頭の中に無数の「?」が浮かんだ。 「パラレルワールドストーリー」と言われれば納得できるが、前半と後半の整合性が見えないまま唐突にエンドクレジットが現れる。そもそも本作はパラレルワールドの話なのか?どこかで別の世界線の設定で整合性が取れるのか?監督の意図は?など、いろいろな?が頭に浮かび、しばらく混乱していた。

ただ、戦闘シーンを見て胸が高揚する自分を感じたのは確かだ。小学二年生の時、夢中になって観ていたガンダム世代の申し子である自分を再確認した。 高揚したまま、エンドクレジットをくまなく観た。ガンダムといえば富野由悠季さんだと思っていたが、どこにもその名前はなかったように思う。 つまり、これはガンダムの世界観や設定を借りつつも、まったく新しい別世界として作り直した作品なのだ、というところまでは理解できた。

そこまでは自分なりに納得したが、本作を単体の作品として見たとき、やはり疑問が残る。前半のストーリーと後半がどうつながっているのか。一作だけ見ても完結しておらず、今も私の中ではその部分が全く理解できていない。

後で知ったのだが、本作はテレビシリーズの最初の部分なのだという。 つまり、私が抱いた「?」は、その後のテレビシリーズを観ることで解消されるのだという。 そう聞いて、ストリーミングサービスで第1話と第2話を観てみた。 すると、本作の前半部分がテレビシリーズの第2話、後半部分が第1話に当たるということがわかった。なるほど、こういう構成だったのかと納得した。 おそらく、このテレビシリーズを私は最後まで見届けなければならないだろう。ただし、本作を観てから三週間が経った今でも、まだ第2話までしか観られていない。 この後、時間が取れれば続きを観たいと思っているが、それがいつになるかはわからない。 観たとき、私の中にあった本作への違和感や疑問が解消されるのかもしれない。

ただ、一つの作品として本作を見た場合、その意図についてはやはり疑問が残る気がしている。

ガンダムとは、かっこいいだけでなく、思想も盛り込まれた作品だと思う。 もちろん、小学二年生だった私は、背景の情報を全く知らず意味もわからないまま、ただ単純に「かっこいい」と憧れていた。 後日、小説版や漫画の「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」を読む中で、実は背景にものすごく精緻で凝った設定がなされていたことを知った。 だからこそ、『機動戦士ガンダム』がさまざまな続編やスピンオフ作品として広がっていったのだろう。日本のアニメ史に残る金字塔だと、今でも思う。

だからこそ、その世界観を大胆に解釈し、今の若い新世代にガンダムを再度提示し直したのがテレビシリーズも含めた本作の意図なのかもしれない。

地球で養いきれなくなった人口を宇宙に築いた巨大なスペースコロニーに逃し、地球とそのスペースコロニーとの間に争いが起こる設定は、ひょっとすると遠い未来に実際に起こるのかもしれない。

また、宇宙という活動の場を得た人類の中で新たな能力が芽生え、いわゆる「ニュータイプ」の持つ力や、それを活かした武器やモビルスーツ、モビルアーマーなども生まれるのかもしれない。 そうした設定は、今ならより現実味を持った未来として描ける気がする。

何しろ、私の世代は小学二年生の時にガンダムに衝撃を受け、スター・ウォーズやその他SFの世界に洗礼を受けた。そしてそのまま、社会人になる頃にインターネットの勃興とAIが発展する今までをリアルタイムで生きているのだから。

さすがに、スペースコロニーができる頃には、この世にはいないはず。 だが、40年以上世の中を見てきた世代の私の意見として、本作のような新たな世界線で一年戦争のガンダムを描き直す試みは、十分にありだと思う。

まずはテレビシリーズを見返してみようと思う。

‘2025/6/29 イオンシネマ海老名

コメント

  1. 水谷学 より:

    スタジオカラーの鶴巻和哉監督による作り直しの一環にあると理解しました。再上映で6/20に観ましたが、これは映画と言うより新しいTVシリーズの番宣という位置付けでしたね。

    とは言え、TVシリーズ2話でのファーストガンダムへのリスペクトが感じられ、特にモノアイが動く音や、モビルスーツへの打突音、警戒アラートの音などが一緒で胸熱になりました。

    パラレルワールドというのは、大好きな森見登美彦さんが得意とする世界観なので、自分の伝奇小説に取り入れてみたいと、かねてから考えています。

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