2024年11月のまとめ(個人)

まとめ

公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括

11月。

今月は結婚25周年の記念すべき年。何があっても家族でハワイに行こうと決めていました。
例え、昨年の後半に仕事の収支が苦しくて半年間家族に給与が入らなかろうと。

なんとか、家族でそろって3泊5日のハワイの旅を敢行することができました。

とても尊く、楽しく、リフレッシュできた旅となりました。
私にとってはハワイの滝を見られなかったのが無念でしたが、キラウエア火山の火口やコナ空港からワイコロアへ、さらにワイコロアから広への道の両側に広がる素晴らしい眺望が見られたのはよかったです。
全てがアメリカサイズ。日本では見られない眺望です。

ただ、ハワイでも私は仕事をしていました。
その意図はnoteの記事にも書いているので、特にここでは繰り返しません。
毎月と同じく、今月も公私混同の一月でした。完全に仕事を忘れてオフになる日はありません。
しかし、合間合間でその場所その時間を楽しむための気持ちの切り替えができるスキルを身に着けたことと、もともとそのような趣味嗜好を持っているのでストレスをためずにやれています。

体が動くうちに、どこまで旅ができるか、新しい体験ができるか。新しい光景が見られるか。
気力のあるうちに、新しい自分の道を切り開きたいと思います。

旅は仕事とセットです。仕事をしながら旅をする。どうやってそれを実現するかが私の人生のテーマです。まだ私の理想にはほど遠い毎日ですが、旅の積み重ねが自分にとっての喜びです。
今月も仕事に追われる状況には変わりがありません。ただ、共遊開発の割合を増やすことによって、少しずつ仕事に終われる時間を減らしています。

なお、今月からこのまとめは個人の活動と会社の活動を完全に切り分けて書きます。

年齢による疲れを感じています。もう、昔みたいに自在に動き回れず、やるべき仕事は山積みになっていて、私の自由はますます狭められています。
昨年でついに50の齢を迎えた私の人生が、少しずつ下り坂を迎えていることをひしひしと感じています。
私に与えられた時間は有限です。ますます残り少なくなっています。
残された時間を少しでも有意義にしなければ。
これからも台風、水害、熱暑、地震、噴火などの天災が私たちの時間を奪っていくでしょう。
もう誰と比較するとかではなく、自分自身の残り時間との戦いです。人がどうではなく、自分自身が納得できるように生きるにはどうすればいいか?

生きていること、生かされていることのありがたみ。
それを常に忘れぬようにしながら、充実した日々を送りたい。
皆さんと私の思いは同じです。
加齢に抗うようにして、今月も動き回っていました。

娘たちもそれぞれの道を迷いながら歩んでいます。
私も娘たちをフォローしながら、これからの人生を有意義なものに過ごしてほしいと思っています。
残りの限られた人生の中で家族との時間を大切にしながら、自分に与えられた可能性と時間を精一杯使い切りたいと思います。

今月は家族とは一回お出かけしました。妻とは一回、妻と長女とは七回、妻と次女とはゼロ回、長女とは二回、次女とはゼロ回。
§  月表

・十一月お出かけ
宝仙寺、蚕糸科学技術発祥の地、蚕糸の森公園、麺昇 神の手、カラオケBanBan 高円寺駅南口店、サガミ 町田金井店、カットファクトリー 新百合ヶ丘、三省堂書店、東京交通会館、Tokyo Innovation Base、はま寿司Kinko’s 立川店、MEGAドン・キホーテ、Kamayan’s Tachikawaダイソー 東大和向原店ファミリーマート 東大和向原店相鉄ローゼン 薬師台店、ピーマイ、Tully’s Coffee、東京交通会館、漁一、アパホテル&リゾート東京ベイ幕張、幕張メッセ、山傳丸、HUB、ららぽーとTOKYO-BAY
TOWER RECORDSBuffet the Forest鴨川シーワールド、安房鴨川駅、Kamogawa SEASIDE BASEフィッシャリーナ鴨川大山千枚田地魚回転寿司 船主総本店、君津駅、相鉄ローゼン 薬師台店コインランドリーM2、Starbucks 鶴川店、ブラフ18番館、ガスト、デニーズ 長者町店、イセザキ・モール、松のや・マイカリー食堂、NewDaysミニ 目黒2号、稲城大橋、鶴川駅前図書館、大井PA (東行き)酒々井PA (下り)成田空港ペットホテルトマト成田国際空港 (NRT)麺処つるはんNRT – GATE 95 (Terminal 2)ダニエル K イノウエ国際空港 (HNL) (Daniel K. Inouye International Airport)StarbucksGift Shop (Gate 56)Hawaiian Airlines GatesGate A17コナ国際空港 (KOA) (Kona International Airport)HertzK?holo Scenic Point № 19S0821Queens’ MarketplaceKuleana Rum ShackMahinaThe BistroClaire’sHilton Waikoloa Village Resortアメリカ合衆国 (United States of America)Palace TowerNui ItalianGilbert Kahele Recreation AreaPum
aile Beach (King’s Landing)
Edith Kanaka’ole StadiumBig Island CandiesKilauea LookoutKilauea VolcanoVolcano HouseLua ManuHawai’i Volcanoes National Park (Hawai?i Volcanoes National Park)N?huku (Thurston Lava Tube)Mauna Kea State ParkGilbert Kahele Recreation AreaHilton Waikoloa Village Resort、Pu?ukohol? Heiau National Historic Site、Kawaihae Harbor、Queens’ Marketplace、Kuleana Rum Shack、Kings’ ShopsNa Hoku – Hawaii’s Finest Jewelers Since 1924Kamuela Provision CompanyDancing DolphinsHilton Front DeskTexacoHertzコナ国際空港 (KOA) (Kona International Airport)Hawaiian Airlines Check InGift ShopGate 9ダニエル K イノウエ国際空港 (HNL) (Daniel K. Inouye International Airport)Hawaiian Airlines GatesStarbucksChow Mein Express成田国際空港 (NRT)第2ターミナル 到着ロビーB成田空港ペットホテルトマト、町田市文化交流センター、町田 龍聖軒、町田市立中央図書館、松屋 二俣川店、EKITERIA PRONTO、はなの舞、JA横浜 本店ららぽーと海老名さち福や CAFé、ドットワークP
lus、炭火居酒屋yama、富士吉田 ビジネスホテル芙蓉、御師町お休み所 富士吉田市観光インフォメーションセンター、富士山展望デッキ、富士吉田市観光案内所、美也川、月江寺駅、小室浅間神社、大塔宮護良親王古蹟、下吉田駅、新倉富士浅間神社、忠霊塔、明治大帝聖像、新倉山山頂、御殿、新倉富士浅間神社、新倉山浅間公園、下吉田駅、ドットワークPlus、月江寺駅、富士山駅 (FJ16)、富士山駅 (FJ16)、信玄

・十一月ツイート
https://togetter.com/li/2473203

§  家族とのお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かける機会は、今月は三回ありました。


なお、月初に我が家に新たな家族が加わりました。アリシアちゃんです。
孫が欲しいという妻の希望が募ったあまり、購入してしまったそうです。なんという・・・


今月はなんといっても20年ぶりの家族ハワイ旅行につきました。

初めてハワイに行ったのは、妻との新婚旅行です。25年前。
その時に泊まったハワイ島のヒルトン・ワイコロア・ビレッジに今回も宿泊しました。日本でも式を挙げ、ハワイでは2人だけで式を上げました。そのハワイであげた式からちょうど25年目の日に同じ教会に訪れることができました。

結婚式から5年経ち、長女とまだ乳児だった次女を連れてハワイに行きました。その時に泊まったのはマウナ・ラニ・リゾートホテルです。
娘たちが大きくなったら、またヒルトン・ワイコロア・ビレッジに泊まりに行きたいねと言う話を夫婦でしていました。それから20年。20年もの月日がかかってしまいました。
今回は、私にとって3回目のハワイ訪問です。

ハワイアンネームをつけた娘たちも大きくなりました。


結婚してからの25年間には、さまざまなことがありました。良いことも悪いこともあった結婚生活も四半世紀をしのぎ切りました。
今回はその25年を寿ぐための記念すべきアニバーサリーです。祝いと振り返りと安息のため、ハワイには行く必要がありました。

今回は3泊5日のスケジュールです。本当はもう少し長く行きたかったのですが、今の為替相場や我が家の経済状況からするとギリギリです。
また、私自身が仕事や案件に追われています。そんな中で旅のスケジュールを無理矢理いれたので、ハワイでも夜中に仕事をしていました。日中も連絡をこなしていました。
仕事を完全に忘れてのバカンス旅ではありませんでしたが、それでも充実した休みになったと思います。

旅の詳細は下のところで書きますが、家族とともにとても素晴らしい休暇が取れたと思います。

§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で一回でかけました。

妻と訪れたのは近所のはま寿司です(11/3)。ちょっと寿司でも食いに行こうかと言う感じで二人で行きました。

今月は夫婦でかなりの時間、話をしました。
私が経営する会社の事、妻が山梨に立ち上げた新会社(ハレ・プロモーション)の事、山梨で予定しているこれからのイベントの事。今月はそうした仕事の話を二人で頻繁に話しました。特に11月の1日から8日までは、出展するCybozu Daysについて、毎晩の音声配信を行いました。
そこで対話する中で、お互いが仕事や会社についてどう考えているか、意識のすり合わせができたように思います。
今月はハワイ旅行とあわせて、結婚生活が違う局面に入ったように思っています。

§  妻と長女とのお出かけ  妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で出かける機会は七回ありました。

まずは月初に家の近くの「サガミ町田金井店」で夕食(11/1)。
さらには別の日、近所のお店でお買い物を(11/4)。


さらに、幕張メッセでCybozu Daysに一緒に参加していました。今年は妻も長女もフル参加でした(11/7)(11/8)。

二日目の撤収後には、三人でささやかな打ち上げを「ららぽーと TOKYO-BAY」で(11/8)。「TOWER RECORDS」に寄った後は、「Buffet the Forest」で疲れを食べ物で満たしました。





その翌日は、次女が体調を崩してこられなかったので、三人で「鴨川シ―ワールドへ」(11/9)。この日は妻の誕生日でした。妻の希望もあってです。
その帰りには、どこかで夕食を食べようかとお寿司屋さんに向かいましたが、そのお店に行ったところ、まだ開店前だったので、近くの「フィッシャリーナ鴨川」を訪問しました。ここでは鴨川の名産品を買いました。すると、そのお店で観光チラシを見つけました。そのチラシに載っていたきれいな場所で妻の誕生日を祝ってやろうと思い、連れて行ったのが「大山千枚田」。ここは棚田百選にも選ばれている場所で、棚田のあぜ道にそってライトアップがされていてとても幻想的でした。妻も多少は喜んでくれたと思います。
この場所はかなり鴨川の内陸に位置していて、少し足を延ばせばもう鋸南町です。ということは、妻が好きな「地魚回転寿司 船主総本店」までそう離れていません。そこで鴨川に戻らずに鋸南町まで移動し、「地魚回転寿司 船主総本店」で妻の誕生日をお祝いすることにしました。

その翌日には近所をお買い物し、洗濯物を乾かしに(11/10)。

そしていよいよ、ハワイ旅行です。11/19の出発の日、次女とは成田空港で待ち合わせていたので、町田から成田までは三人での移動でした。
「大井PA (東行き)」「酒々井PA (下り)」と立ち寄った後、二匹のワンちゃんを預けるため「成田空港ペットホテルトマト」に立ち寄りました。さらに空港に着いた後も「麵処つるはん」で三人で食事をしました。そして次女とは出発ロビーで落ちあいました。

§  妻と次女とのお出かけ  妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女との三人で出かける機会はゼロ回ありました。

次女は少しずつ成長しはじめています。今年から正社員となって働いています。仕事は楽しいようです。
とても楽しく、人生と若さを謳歌しているようなので、親として安心しています。
家族とのイベントにも次女と参加してくれ、家族との会話ができているのはありがたいです。

§  娘たちとのお出かけ  娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。

長女は昨年の4/1付けで雇用しました。
今年の春から、とあるお客様の事務担当として週一度訪問し、社会の風にあたってもらっています。
最近は一人でいろんなイベントに顔を出してくれていますし、仕事で人の役に立てている手応えも感じているのでしょうか。


Cybozu Days の準備の一環で、二人で「Kinko’s 立川店」に展示ブースの壁に貼るパネルを受け取りに行きました(11/4)。その帰り、せっかくなので二人で立川で食事をしました。ついでに長女が欲しいものが「ダイソー 東大和向原店」にしかないため、その途中で何か面白そうなお店で食べたいね、と立ち寄ったのが「Kamayan’s Tachikawa」。ここはフィリピン料理のお店です。
そもそも私も娘もフィリピン料理屋に行ったことさえなかったのですが、長女は私の影響で変わったお店に行くことに抵抗感がないようです。
こういう新しいお店に行ってみることに抵抗はないのか、と聞いたら「パパの娘だから」と嬉しいことを言ってくれるではありませんか。父親冥利に尽きますね。


また別の日にはお客様のもとで説明会があり、今後、経理上の処理が発生するため、長女にも来てもらいました(11/28)。
無事に説明会が終わった後、娘と「ららぽーと海老名」に行きました。そしてそこの「さち福や CAFE」で夕食を一緒に食べました。こういう娘との時間がとても貴重です。

次女とは家族旅行の中で始終行動し、臆せず英語を操って会話をする積極的な姿に親として安心しました。
ホテル勤務の中で培ったコミュニケーション能力があれば、これからも世の中をわたっていけることでしょう。

もう、私の中では子育ては終わったと思っています。娘たちにはそれぞれを一人の大人として対し、手助けができるところは私から手を差し伸べていこうと思います。
私にできることは親の頑張る姿をみせることぐらいかな。

●私自身の十一月(交友関係)

§  関西の交流関係
今月もまた、関西には帰れませんでした。
そして、最初の3連休に高校時代からの友人がライブに出演するというのでお招きいただいていました。それなのに行かれませんでした。ドリーム・シアターの名盤「AWAKE」を全曲コピーすると言う離れ技が見られる良い機会だったのに。残念でなりません。
昨年も一昨年も友人のライブには参加し、大きな刺激を受けたので、とても行きたかったのですが。

そういえば、下にも書きますが、ハワイの現地ツアーでご一緒になったご夫婦が南甲子園から来られていてびっくりしました。ハワイでまさか甲子園とのご縁があるとは。

§  今月の交流
今月は、仕事に絡んだイベントではあるものの、大勢の方と交流を深めました。

私の場合、公私混同の毎日です。私的な付き合いなのか、仕事をからめた付き合いなのか、区別はしないしできません。
皆さんとの交流は本当に楽しかったです。



今月も皆様ありがとうございました。

●私自身の十一月(コミュニティ活動)
§今月の登壇一覧 
今月から、従来は法人側のまとめで書いていたコミュニティ活動やエバジェリスト活動はこちら側に記します。

よっちゃばれっ kintone 無尽 Vol.5に参加しました。(11/29)

●私自身の十一月(文化活動)

§  今月のブログ
読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、書いていません。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、今は書くための時間がありません。2020年の年末に読んだ本が最後ですから、もう四年近くの間、レビューが遅れています。
今、私のプライベートの時間がほぼなくなってしまっています。仕事をからめた交流があるので精神的には困っていませんが、一人の時間がないことは見直さなければと考えています。
レビューをアップする冊数と本を読んだ冊数は、私にとってワークライフバランスのバロメーターです。ワークに偏っている今の状況を早く取り戻さねば、とかなりの危機感を持っています。

以前に連載していたCarry Meさんが運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」の続きを弊社サイトにアップする作業ですが、今月はアップできませんでした。これも長い間アップできていないので、なんとかして時間を作らないと。

今月、書いた本のレビューは0本()。
今月、書いた観劇のレビューは0本()。
今月、書いた映画のレビューは0本()。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は0本() 。

先月までは
なお、一昨年のはじめから毎営業日にnoteに書き始めた記事ですが、今月は以下の内容をアップしました。

10月30日 10月30日 特撮技術とは、人の培った工夫と叡智の結晶である
10月31日 10月31日 システム仕様の伝達の効率化こそが生産性
11月1日 11月1日 タスクリストの共有化
11月5日 11月5日 音声配信を始めました
11月6日 11月6日 Cybozu Days 2024にあたり
11月7日 11月7日 会えるから話せることがある
11月8日 11月8日 ブースはあえてテーマを絞る
11月11日 11月11日 kintoneワイドコースについて
11月12日 11月12日 選挙とSNS
11月13日 11月13日 Accessからkintone
11月14日 11月14日 時間の使い方の追求は果てしない
11月15日 11月15日 デバイス連携はコミュニケーション連携につながる
11月18日 11月18日 自らの言動で身を処すしか
11月19日 11月19日 国外に出て危機感を感じたい
11月20日 11月20日 時差や環境の違いを体感する
11月21日 11月21日 テキストかビジュアルか、脳が得意な情報処理を把握する
11月22日 11月22日 ハワイで学んだこと①
11月25日 11月25日 ハワイで学んだこと②
11月26日 11月26日 ハワイで学んだこと③
11月27日 11月27日 ハワイで学んだこと④

§  今月の読書
今月は10冊の本を読みました。内訳は、幻想文学一冊「(完本 酔郷譚)」。ミステリ二冊「(入れ子細工の夜)(第四の扉)」。歴史小説一冊「(武士の紋章)」。ホラー小説一冊「(骨灰)」。スラップスティック二冊「(薬菜飯店)(夜のコント・冬のコント)」。ノンフィクション一冊「(生存者 アンデス山中の70日)」。旅行記二冊「(山とハワイ 上)(イザベラ・バードのハワイ紀行)」。

私が一昨年の年始に掲げた目標の一つは本を出版することですが、まったくそれが進んでいません。
仕事にかまけてしまっています。このことにもとても強い危機感を抱いています。このまま何も生み出さずに老いてしまうのでは、と。

そんな中、NHK BSで『筒井康隆の世界』が放映されると聞き、私には珍しくテレビを見ました。もう90歳の卒寿を迎えた筒井御大の、老けたと思う以上に、かえってその作品たちの凄さを思い知りました。
そこで続けてお気に入りの二冊を呼んだわけです。

なお、ノンフィクションの一冊は、ハワイへ向かう飛行機の中で読みました。墜落のノンフィクションを読んでいればさすがに飛行機は落ちないだろうと。
旅行記の二冊は、ハワイでの体験を振り返るためです。前者には私たちがハワイ島での現地ツアーでお世話になったBIG仁さんが登場しています。
後者は、今とは比べ物にならないほど不便だった当時に女性だけで一人旅をした女史に尊敬の念を抱きました。ワイピオ渓谷への旅やマウナケア、マウナロア。キラウエアへの登頂など、すさまじいといえます。

§  今月の映画
映画を見るどころか、テレビすらほとんど見ていません。
ハワイへの飛行機の中では、見ようと思えば何本もの映画を見ることができたのですが、仕事をしていたため、見ませんでした。

§  今月の舞台
 舞台については、今月は一本も観ていません。



§  今月の音楽
コロナが始まってから’70’sから活躍したアーチストの全曲を聞く活動を続けています。サンタナの全アルバムを順に聴いています。

他にもいろいろな音楽を聴いた月でした。

今月悔やまれるのは、上にも書いた通り、友人が属するバンドでDreamTheaterの『AWAKE』を全曲完コピーするライブにお招きいただいていたのに行けなかったことです。
Cybozu Daysの前週だったので、余裕がありませんでした。本当に悔やまれます。

あと、初日に高円寺駅前の「カラオケBanBan 高円寺駅南口店」でオンライン会議のために入り、合間に2、3曲歌いました(11/1)。

§  今月の美術
今月は美術については、ハワイで泊まったホテル「ヒルトン ワイコロア ビレッジ」で多数の美術品を見ました。
広大な敷地に複数のホテル棟が建っていますが、それらを結ぶ回廊にたくさんの絵画や仏像、彫刻が並んでいます。その数は膨大です。かつて25年前に訪れた時に見た風景が思い出されました。

そもそもハワイ島の景観そのものが壮大な美術です。
人間の感覚を軽く凌駕する拡がりはこれぞアメリカ。
それだけで一つの絵画でした。

§  今月のスポーツ
今月は、スポーツはしていません。
トピックスとしては、町田ゼルビアが絶好調で、J1デビュー初年度にもかかわらず、まだ上位に居続けていることでしょうか。
最終集の時点でまだギリギリの優勝に望みをつないでいます。
これはすごいことだと思います。

私自身、最近体力がとみに落ちていることを感じています。
寝不足その他の原因でしょうか。仕事が忙しい中、どうやって体力を維持するか。
そろそろ体力作りに取り掛からないと、老年になってとんでもないことになりそうな気がしてきました。危機感を覚えています。



月末に富士吉田市に聳える新倉山とその奥の御殿の2つの山を登りました(11/30)。登っていて自分の体力の低下をつくづく感じました。何回も途中で荒い息を吐いては山道で休憩し、何とか登りきったという感じです。
もちろん、頂上からの景色は素晴らしく、山登りの醍醐味をまざまざと感じました。そして、運動不足の自分を痛感しました。

§  今月の滝
今月は滝を訪れる機会がありませんでした。

せっかくハワイ島に行ったにもかかわらず、ハワイの滝を訪れられませんでした。
私自身、滝への訪問を熱望していたにもかかわらず、家族旅行という団体行動の縛りでいけませんでした。
どれほど無念だったか。
最終日に「Waiokanalopaka Falls」と「Keanapakulua Falls」に行けるかな、とドライブを敢行したのも時すでに遅しでした。


§  今月の駅鉄
今月は駅を二駅訪れました。「東府中駅(11/28)」「月江寺駅(11/30)」


東府中駅はお客様の最寄り駅であり、何回も使っています。
少し早めに着いたので、その時間を利用してホームをうろついてみました。

この駅は府中競馬場駅に向けた路線との分岐駅です。
平日は専用のホームで閑散とした列車が停まっていますが、休日になると本線のホームに長編成の列車が止まり、競馬場へ向かう乗客でにぎわいます。

平日は新宿方面との行き来の時間になれば混雑するのでしょうが、普段私が利用する時間はのどかな駅です。
駅にはいくつかお店が軒を連ねていて、私もよく使います。

今回、時間が少しできたことで駅を巡りましたが、普段は余裕がなく、なかなかのんびりできる駅ではありません。
この駅にはあと何回か訪れる予定です。


月江寺駅は、富士吉田での「よっちゃばれっ kintone 無尽 Vol,5」の前に降り立ち、その翌日にも駅鉄を目的として訪れました。
富士山駅と下吉田駅はともに富士吉田市の観光の玄関口であり、今回もインバウンドのお客様を多数見かけました。
ただ、その間に位置する月江寺駅は静かなたたずまいです。

今回、私が訪れた時、月江寺駅にも訪日観光客がいました。
初日にはいらっしゃらなかったのですが、翌日に訪れた際、一人旅をしている外国籍の女性がICOCAで正常に入場できずに困っていました。おそらくどこかの駅で下車記録がないなどのエラーがあったのでしょう。
私も見かねて「May I Help You?」と声をかけましたが、私の要領を得ない英語でどこまで伝わったか。河口湖駅に降りると言っていたので、そこでステーションスタッフに聴けばよいよと伝えましたが、自分の英語力のなさにかなり危機感を覚えました。


なお、月江寺駅は単線でありますが、富士山駅方向の真正面に富士山が見えます。去り行く列車と富士山を重ね合わせることも可能です。

なお、8月末に購入したiPhoneにエキタグを入れました。今までの端末はNFC非対応だったので、エキタグができませんでしたが、先々月から使ってみています。先々月は9駅、先月は22駅、今月は6駅を訪れています。
「「中央線・総武線各駅停車・中央線快速高円寺駅(11/1)」「京浜東北線・山手線有楽町駅(11/3)「「京浜東北線・山手線田町駅(11/6)「外房線・内房線安房鴨川駅(11/9)」「内房線君津駅(11/9)」「南武線稲城長沼駅(11/16)」


§  今月の酒楽
今月は飲む機会がそれほどありませんでした。延べ四日、五軒。

まず、Cybozu Days 2024の前夜祭として、海浜幕張駅近くの「漁一」で約8人ほどで飲みました(11/6)。
毎年この季節はCybozu Days 2024に全国から集まるkintone界隈の人たちで楽しめます。

その翌日も、初日の懇親会を「山傳丸」で。今年は弊社もこじんまりと飲み会を楽しみました(11/7)。そして、その後の二次会ではそばのHUBでまたkintone界隈の人々が店を占めるのもいつもの通りです。

あとは、ハワイです。「Kamuela Provision Company」では家族四人で結婚25周年を祝いました(11/22)。前の日にも「NUI ITALIAN」で家族で夕食を囲んだのですが、私はお酒は飲みませんでした。
ここではTaliskerがあり、頂きました。家族もそれぞれお酒をいただきました。最後の夜にふさわしい、思い出に残る夜でした。

なお、初日に立ち寄ったQueen’s MarketPlaceにある「Kuleana Rum Shack」では、近くのラム蒸留所が直営しているようです。
二日目の日、ハワイの滝に行かれないことが決定的となった私は、せめてこの蒸留所に行こうと車を走らせたのですが、ヒルトン・ワイコロア・ビレッジを出た時点ですでに辺りは夕闇に向かって急速に暗くなりつつあり、訪問を断念しました。
あまりの落胆に、帰りに妻子と会う前に「Kuleana Rum Shack」に立ち寄り、アグリコールラムを購入しました(11/21)。
私にとって初めての瓶で購入したアグリコールラムです。

日本にかえった翌週、山梨で「よっちゃばれっ kintone 無尽 Vol.5」に参加しました。その夜の懇親会は「炭火居酒屋yama」でした(11/29)。こちらでも美味しくお酒を頂きました。


あと、妻が山梨に行った際に買ってきてくれたのが「春鶯囀」です。山梨のkintoneコミュニティで仲良くさせてもらっているはくばくさんが、後継者がおらず廃業の危機に陥っていた萬屋醸造店の経営権を引き継いだそうです。美味しくいただきました(11/10)。


あと、11/3に都内で行われた小菅村の移住促進イベントに参加しました。そこに登壇されるFAR YEAST BREWINGの山田さんには夏のイベントでもお世話になったためです。
この日もFAR YEAST BLONDEを振舞っていただいたのですが、この日は運転する予定を控えており、後日家で飲み干しました(11/11)。美味しかった。


また、先月に蒸留所設立セミナーを受講した「AUGUST BEER」さんからIPAをお送りいただいたので、そちらもいただきました(11/16)。美味しかった。


§  今月の旅行
今月は、4都道府県を訪れました。そして久々に国外に出ました。ハワイです。

今月はハワイ旅行と、Cybozu Daysおよびその翌日の千葉鴨川へのミニ旅。そして、月末の富士吉田市への訪問が主な旅です。
また、細かい旅は結構頻繁に行っています。


月初には中野坂上でお客様を訪問する前、近くの宝仙寺を参拝しました(11/1)。
参拝の後、高円寺に向かったのですが、その途中で蚕糸公園に立ち寄りました。


また、上にも書いたように、長女とは立川でパネルを受け取った後、フィリピン料理を楽しんだ後、東大和に足を延ばしました(11/4)。

また、Cybozu Daysに向かう前にも横浜から武蔵小山を経由して向かいました。武蔵小山ではタイ料理のお店に立ち寄り、Caféでオンライン会議も行いました(11/6)。


千葉鴨川への旅(11/9)は上にも書いたので割愛します。


別の日には商談で訪れた石川町で、ブラフ18番館で秋の気分を少し味わい、夜はイセザキモールを久しぶりに歩きました(11/12)



別の日にはお客様の下を訪問した後、Hello Cyclingを使って稲城大橋を渡りました。普段は頻繁に車で通る橋ですが、初めて自転車で渡りました(11/16)。


ハワイ旅行について書きます(11/19-24)。

日本時間の19日。上に書いた経路で成田空港で出会った家族。
ハワイアン航空で飛び立ちました。私はその成田からの機中にていくつもの実績解除を果たしました。機内iPaas/機内ログイン/機内コーディング/機内デバッグ/機内テスト/機内コミット/機内プッシュ/機内デプロイ。これらは、機内でWi-Fiが使えたためです。ずっと仕事ができました。

そして合間に読んでいたのは、1972年にアンデス山中で不時着して生還した十数人を取り扱ったドキュメンタリーの「生還者」。
そうした本を読んでいると機は墜落しないというジンクスを勝手にこしらえているうちに、飛行機は無事にホノルルに到着。ここでは生まれて初めてのトランジットでコナ空港へ。



クレジットや入国審査もつつがなく終わり、ハワイの島々を左手に見ながらコナ国際空港へ。ここまでは順調でした。
ところが空港を出て、妻が予約したレンタカーがどの会社のものかわからない問題が発生しました。ハーツレンタカーで予約したと妻が言うので、空港の入り口に来ていたハーツレンタカーの送迎車に乗り、事務所に着いたのですが、メールを印刷した文面を見ると、ハーツレンタカーの文字がどこにも書かれていません。
いきなり不安な出だしです。そこで、窓口に行って聞いてみました。その結果、妻がレンタカーを借りたのはハーツレンタカーであることが判明しました。安心してレンタカーの手続きを行い、早速出発しました。


私にとって20年ぶりの左ハンドル、右車線のドライブの始まりです。しばらくはおっかなびっくりの運転でしたが、慣れる間ももらえずすぐに幹線道路に。
ところが、私の不安は周りに広がる広大な景色に雲散霧消しました。ひたすらに続く道。広大な大地。家が1つも見当たらない景色は、北海道でもなかなか見当たりません。これぞアメリカと言えるほどの壮大な景観が私の心を揺さぶりました。もちろん家族もそれは一緒。ただひたすら感動に身を委ね、運転を続きました。




途中、どうにも写真を撮りたくて我慢できず、見かけたパーキングに寄りました。「Kiholo Scenic Point」とFourSquareに教わったその場所は、青い海、広大な大地、そしてコハラ山地やマウナケアらしき山が遥かに見える、マウナロアも望める絶好の地。
まずここで広大なハワイの景色に、私たちは感動の声を上げ続けました。もうこの時点でハワイを堪能したと言ってもいい位に感動しました。


その後、私たちは北上し、無事にワイコロアビレッジに至る道へ左折しました。もうかつて訪れた時の記憶は全くありません。そこでまずはどこかに立ち寄ってみようということで、クイーンズマーケットプレイスへ入りました。左折で入り、右折で回る。そして左ハンドルでバックして駐車場に止める。少しずつ運転に慣れてきている自分を感じつつ。


ここでは上に書いた通り、ラムのお店を見つけましたが、あとは主に買い物です。うちの娘たち女性陣はもう買い物がしたくて仕方ないので、ここで様々なお店を堪能したようです。私は、そういうお店は興味がないので、時間を見てアイランドグルメマーケットに入りました。その異国の食材や商材がたくさん並ぶのも、海外に行く楽しみです。お菓子や惣菜、お酒などなど、興味がつきません。特にお酒はじっくりと見て回りました。
後で家族もやってきて、ここで完成を上げながら、たくさんの商品を買い集めました。ここで気になったのは虫の差です。外に出ると羽虫がやたらかかってきます。かつての記憶ではこんなに虫がいなかったはずなのに?と思いました。温暖化の影響でしょうか。この虫がちょっと興を削いでしまいました。



食事を食べようと立ち寄ったのが「The Bistro at Waikoloa Luxury Cinemas」です。今回の旅行では、私は英語をほとんど話さず、妻と事情に任せるつもりでした。次女はホテル勤務で、英語はかなりしゃべれるようになっていました。


たくさんいただいた後、再び車に乗っていざホテルへ。
入り口のエントランスのロータリーに車をつけ、荷物類と妻たち家族を下ろします。そこで私は駐車場止める必要があるのですが、よくわからのまま貿易さんにサードと言われたのをなんとなく聞き取ったので、駐車場に行って無事に駐車できました。何とかなるもんですね。
そして家族と合流し、いざホテルへ。
20年前は、疲れきってついた途端かなり爆睡したような記憶があります。今回は時間が惜しく、早速ホテルの中を歩きました。ただ私は実はあまり飛行機の中で寝られておらず、正直睡眠不足のままでした。夕方に少し寝てしまいました。

夜は少し家族でホテルの中を散歩しました。上にも書きましたが、このホテルは各建物が回廊でつながっていて、回廊には仏像や銅像、絵画や刺繍など世界各国の文化を総覧で見られるような展示が並んでいます。日本もあれば、アメリカ、アフリカ、アジア、ヨーロッパなど。

ここはかつての記憶も鮮やかでした。


ただ、食事の場所はかなりはなく、少し足を伸ばさなければならない事は忘れていました。ただコンシェルジュの方に聞いたところ、「NUI ITALIAN」がまだ空いていると教えてもらえたので、回廊を歩いて「NUI ITALIANIを訪れました。ここでイタリアンのおいしい料理に舌鼓を打ちながら、家族での団欒の初日を迎えました。

その後、私は夜中まで仕事をしていました。


翌日、事前にハワイ島のツアーに申し込んでいました。まずは朝食のバイキングです。「BREAKFAST AT WATER’S EDGE」です。ハワイならではの朝食の数々に、つい欲張ってとってしまうのは仕方ありません。また、とりすぎても必ず完食するのも日本人です。相当おなかが満腹になってしまいました。
なお、25年前に朝食をとった記憶は何となく残っているのですが、「BREAKFAST AT WATER’S EDGE」かどうかの記憶は失われてしまいました。

そして、ハワイにいる間はずっとホテルは快晴でした。そのためか、ホテルのどこを見ても色彩が鮮やかです。どこを撮っても絵になる光景が辺りに広がっています。




そして約束の時間に私たちをホテルの駐車場で待ってくださっていたのは仁さん。
初対面だったのですが、風貌も話す言葉もなんと日本人のようです。私はてっきり陽気なハワイアンが英語で捲し立てるツアーを想像していました。25年前のマウナケアへの山頂近くまでの夜空を見るツアーも確か英語だったような記憶が残っていますし。
気さくな感じで話してくる仁さんの日本語に私の緊張は解け、別のご夫婦二組と私達家族を加えた9名と言う小規模なツアーが始まりました。
私としてはハワイの広大な景色に興奮は止まず、私たち家族より前の席に座った二組のご夫婦があまり話されないので、私が必然的に仁さんの話に相槌を打ち、質問する流れに。
その会話の中で仁さんが町田育ちと言うことを知り、今のわが家から徒歩で30分圏内位しか離れていないということも明らかになりました。仁さんはハワイに来て25年以上になるということで、一気に親近感が湧きました。


ファウンテン・グラスが溶岩のあたりに反映していて、火災の原因になりやすいことや、広大な景色のあちこちに盛り上がっている丘が墳石丘ということなどを教わりました。仁さんはハワイ大学で園芸や火山などを専攻されたそうです。道理でめちゃ詳しいわけです。
私達はマウナ・ケアを目前とした「Gilbert Kahele Recreation Area」でトイレ休憩をとりました。マウナケアはあいにく曇っていて山容がみえませんでしたが、反対側のマウナロア川は雄大な景色が広がっています。まさにザ・ハワイ。



ところが、まだまだザ・ハワイの風景は続きます。ヒロに向かって下って行った道は、雨でした。ヒロは雨が多く、しょっちゅう降っているそうですが、やがて訪れたヒロの街は、雨もやみ、晴れ間が広がっていました。
私はヒロの街を訪れるのが今回がはじめて。リゾート地のような風景も悪くはありませんが、こういう生活の場を見るのも悪くありません。

まず最初に立ち寄ったのは、夜の食事の調達です。この後の夕食で食べるラウラウを仕入れるためお店へと向かいました。私の記憶が確かならば、そのお店の名はKuhio Grillのはずです。
https://maps.app.goo.gl/XAMycPc8qe4SBTdK8


ヒロの街はそして次の場所。ヒロは雨がたくさん降り、それが広の街で、あちこちに真水の池としては聞いてています。そのため、海辺であっても、そばに間水があると言う変わった構造をしている場所は多く、私たちが訪れたのもそんな1つ。後から調べたところ、Richardson Ocean Parkです。https://maps.app.goo.gl/nFBqsq61cWeVD4Tg9
淡水を湛えた池の横の小道を通ると、荒々しく波が砕ける海辺へ。すると、なんと海辺に2匹の海亀が(Honu)ごいました。


20年前に来た時も、海辺に当たり前のようにhonuがいるのを見かけ、興奮した覚えがあります。あらためてヒロの街から離れていない場所にこうやってHonuが甲羅干ししている姿を見ると、ここがハワイであることを感じます。まさにハワイでしか味わえない光景でしょう。

とにかく見えるもの全てが新鮮であり、絵になるのがハワイです。
まだまだこの日のツアーは続きます。


私たちは途中、Edith Kanaka’ole Stadium(フラの世界大会Merrie Monarch Festivalが催される)にも立ち寄りました。ここには以前妻も来たことがあるようで、その時のことを思い出したのかテンションが上がっていました。



そして、今日の主な目的地の一つであるBig Island Candiesへ。ハワイ島でしか買えない有名なお土産ですが、私にとってはもちろん初訪問です。私達以外にも多くの観光客が集まっていました。そこで私にとって興味深く眺めたのは、ガラス窓越しに見える製造工程です。人々が黙々と出来上がったクッキーにチョコレートコーティングを行う作業を見ることができました。こういう時、生産性とか仕事の運用とかを考えてしまう私は公私混同の人なのでしょう。
ヒルトン・ワイコロア・ヴィレッジのレストランのスタッフはストレスフリーで仕事中の私語も交えながら和気あいあいと仕事をしているように見えましたが、個々のスタッフは黙々と仕事をしています。食品を作る現場ということもあるのでしょう。そうした部分も含めて興味深く観察しました。




Big Island Candiesの駐車場の入り口に植わっていたコーヒーの木を仁さんに教えてもらいました。このコーヒーの実は、よく知られているように果肉の中の種の部分を焙煎します。ところが私は果肉の部分はほぼ日本では知られていません。私も20年前、ドトールコーヒーの農場に訪問した際、教わったはずですが忘れていました。
今回もコナの街の近くにあるドトールコーヒーマウカメドウズ農場に訪問するかどうか候補に挙がっていましたが、今回のスケジュールでは断念しました。20年前、家族で訪問した際にコーヒーの樹を一本植樹したので、訪れたかったのですが。





続いて、私たちは、ヒロの街を離れ、キラウェア山に向かいました。このキラウェア火山も今回のツアーの主な目的地の一つです。
Kilauea Lookoutの駐車場から歩いてすぐ。そこは広大なキラウェア火山の火口が広がっています。
日本で想像できる火口のスケールとははるかに違います。遥か先まで広がる広大な穴。穴というか山脈のような起伏です。それが目の前に広がっています。これもまた「ザ・アメリカ」と言うべき光景でしょう。私が行きたいと願うアメリカとは、グランド・キャニオンやイエローストーン国立公園やネヴァダ砂漠やルート66のような広大な景色です。それがキラウェア火口として眼前に広がっていました。ただただ雄大な景色、地球の広さを思わせる光景に言葉はありません。
私はそうした広大な光景はハワイ島ではあまり期待していませんでした。ところが、コナからワイコロアまでのドライブの間も、ワイコロアからヒロへの旅の中でも、そしてこのキラウェア火口からもそうした光景を存分に堪能できました。満足です。


しかも私たちが訪れたちょうどその時、火口の上空に虹がかかりました。それも完全な虹が。行きのホノルル空港からの乗り換え待ちの間にも、空港の上空に少しだけ虹が見えました。が、ここで見た虹は完全な半円を描いていました。素晴らしいとしか言いようがありません。虹をバックにした家族との写真もバッチリ撮れました。

秋を通り越して急速に寒くなったように思える日本からやってきたハワイは、南国ならではの暖かさで私たちを迎えてくれました。しかし、このキラウェアの火口では、ハワイの秋を感じました。風が肌寒く、上着が必要です。風が吹きすさぶのも納得できるほどの雄大な景色は、まさにハワイ。来て良かったと思わせる時間でした。



私たちは続いてVolcano Houseに向かいました。トイレ休憩が目的でしたが、ここではキラウエアのことをパネルで紹介してくれています。
そして、次に向かったのがLua Manu。1974年に噴火した際の溶岩流の跡です。まだ荒々しい溶岩の爪痕が辺り一面に広がっています。くっきり残された噴火の荒々しさを物語る場所で、先ほどKuhio Grillで仕入れたラウラウをいただきました。
実は朝のバイキングで相当食べた私たちはお腹がかなり満腹だったのですが、このラウラウがとても美味しかった。私は満腹であまり食べられなかった家族の分も2人分いただきました。実は少し持ち帰ってホテルでも残りをいただきました。このラウラウはまた食べてみたいです。
食事の時、一緒にツアーに参加しておられたご夫婦の二組のうち、一組のご夫婦が南甲子園から来ていることを知りました。私の実家からそう離れていません。仁さんもそうですし、人のご縁を感じる瞬間です。

https://www.dropbox.com/scl/fi/ah62qd3njty9oelmquy4e/2024-12-15-14-24-39-28-1.jpg?rlkey=enjfr9im5963zo2bnyoymqa30&st=y0ygyl78&dl=0
食事の後、私たちはアラと呼ばれる溶岩の石を歩き、凹んだ噴火口の後で写真など撮ってもらいました。
ここでもツアーガイドとしての仁さんのスキルが存分に発揮されました。娘二人に指示を出し、とってもらった写真がこちらです。こういう遊び心がいいですね。ハワイにいると、日本人の四角四面な段取り重視の生き方が窮屈に思えます。









仁さんにはさらに近くのNāhuku (Thurston Lava Tube)にも連れて行っていただきました。これは噴火した当時、溶岩流が樹々をなぎ倒し、さらに外側から冷えた後、中に遺された流動的な溶岩が外に流れた結果、長大なトンネルとして今に残っているものです。
この中でも写真を撮ってもらいました。
興味深いのは周囲の自然の豊かさです。植生がとても多様で、それらを見ているだけでも一日過ごしていられそうです。
ハワイ島といえば、かつて私の記憶では、溶岩の大地に覆われた島と言う認識でした。ところが、今回の旅でキラウエア火山やヒロの方を初めて訪れたことで、ヒロの街の方は雨がたくさん降るため、多種多様な植物層が生成されていることを知りました。これは私にとってハワイの新たな魅力として覚えておきたいと思います。

ハワイ島は魅力的とは思っていましたが、すっかりハワイ島の魅力にはまってしまった私でした。


ところが、まだ真打はこれからです。
仁さんの運転するワゴンは一度ヒロの街に戻ってから、来た道を戻るルートをたどりました。そして到着したのが、行きにトイレ休憩をとった「Gilbert Kahele Recreation Area」です。ここでトイレ休憩をとった後、仁さんはほど近くの光の影響が薄い場所へと移動しました。
車を出てすぐ、私たちの頭上に広がった景色が圧倒的でした。夜空には天の川がはっきりと見えます。昴さえも肉眼で見えました。



仁さんが持ってきてくださった防寒着を着込んだ私達は、凍てつくような寒さの中、仁さんが夜空をレーザーポインターで指す先の星座をなぞっていきます。
日本にいても白鳥座や夏の大三角などの明るい星は見られます。ですが、この夜空の星の数が多すぎて、教わらないとよく見えません。
夏の大三角のうち二つを成すベガとアルタイルは天の川によって引き離され、七夕の日だけ、年に一度会うことを許されたのが七夕伝説です。夜空を見上げていると、天の川によってベガとアルタイルが離れ離れになった様子が理解できます。
黄道十二星座のうちのかなりを教えてもらいました。北極星の見つけ方や、日本では見えない星座など。
私は見つけられませんでしたが、妻子は流れ星が見えたそうです。


さらに仁さんの秘密道具は尽きません。天体望遠鏡です。ここから土星のわっかも見せてもらいました。私は最初の時は土星?というあいまいな感じしか見えませんでしたが、二回目はきっちりと土星の輪が見えました。
そして、夜空をバックに家族写真まで撮ってもらいました。天の川がくっきりと。ハワイに来てよかったと思えた瞬間です。
そこから帰りの社内にはRadwimpsの「天体観測」やSEKAI NO OWARIの「スターライトパレード」を流すなど、仁さん流の演出も素晴らしい。


ホテルまで送っていただき、ここで皆さんとはお別れです。本当に仁さんには感謝です。
私達は興奮から醒めぬまま、ホテルのプールサイドのベンチに腰掛け、のんびりと青白く光るプールを眺めていました。



そして翌日、ハワイ島に来て三日目は、家族との時間です。
この日も朝食は「BREAKFAST AT WATER’S EDGE」です。前日もそうですが、スタッフの私語がまったく嫌に思わないのは、私が私語厳禁で汲々としている日本の文化に窮屈さを感じているからでしょうか?
スタッフがとにかく楽しそうです。私は、前回来た時にオートミールにはまり、何杯もお替りを重ねましたが、今回もたくさんいただきました。



この日は、朝、家族と海辺を歩いて少しプールに入り、午後は私はレンタカーで出かけようと思っていました。



まずは食事の後、部屋に戻った後、妻と長女はルームクリーニングの手配をするとかで、先に私と次女で海辺を散歩しました。
無数のサンゴのかけらがばらまかれた海辺は、昨日ヒロの街で見たようなHonuの姿や魚は見えず、岩場に行けば蟹の姿はみえるものの、生物の豊かな感じは見えません。ですが、水の色は間違いなく美しく、空の色と無限に溶け合っています。
次女とたわいない話を交わしながら、海辺を歩き、そしてプールに移ってハンモックを確保し、そこで二人で一つのハンモックにねそべって肌を焦がしていました。



しばらくして妻と長女がやってきたので、四人でプールに入って泳いだり、水と戯れたりしていました。
かつて新婚旅行でこのプールに二人で入ったはずですが、もうおぼろげにしか覚えていません。でも、こうやって四人で育ってきた家族が今、目の前にあることは確かです。
25年、よくやってきたなあという感慨が胸にわきます。


しばらく家族でプールで戯れ、次女とはプールサイドのお店にアイスクリームを買いに行きました。
そこで次女が店員さんと英語で会話を交わし、買い物を要領よく済ませる姿をみていて、子育ての終わりを感じました。
次女はホテルのスタッフとして日々仕事をし、楽しいことも褒められることも、叱られることもありながら、成長しているようです。その姿に親として思うことも多かったです。
勉強が嫌いでこれ以上学びたくないと調理師学校に入り、そこで無事に高校卒業資格と調理師資格をとりながら、就職したミシュラン星のお店のあまりの厳しさに値を上げて体調を崩した娘。順風満帆とは言えない人生のようですが、転職したホテルでさまざま国からのゲストと相対する毎日を送るうちに、英語を身に着け、こうやって親のサポートもしてくれるようになっています。良く育ってくれたと。




二人でプールサイドに戻ると、今度は妻が調子が悪く、部屋に戻るといいました。昨日から今日の食事と寒暖差に体調を崩したのでしょうか。
私が部屋まで送っていくことにしました。しばらく歩むと、教会が見えました。着いた日の晩に家族で歩きながら、かつて式を挙げたのはここやったかなぁなどと会話を交わしていましたが、妻は確かにここ、と言います。
二人で中に入り、ツーショット写真を撮りました。
そこで言われて思い出したのが、今日のこの日は25年前に丁度結婚式を挙げた日だったことです。ちょうど25年経ち、こうやって今も二人でいられることに感謝しながら、ハワイの教会の神に感謝しました。
近くの草地でも二人で写真を撮りました。これは25年前の写真です。


さて、部屋に戻ったのですが、体調が悪いという妻を置いて出かけるわけにもいかず、部屋で横になっているうちに、私も少し眠ってしまいました。夜中も仕事をしていたこともあったためでしょう。

結局、戻ってきた娘たちと出かけようとなったのは16時半ごろ。すでに日は傾いています。
駐車場まで戻り、レンタカーを出発させたときは私はハワイの滝を見ることをほぼあきらめていました。そう、昨日の旅の中でせめてレインボーフォールくらいは行きたかった、ハワイの滝を見ずして、なんのためにハワイ島に来たのかわからないというほどだったので、今日は一人で滝に出かけようと決めていたのです。
ところが、もう今から滝に行くのは不可能な時間です。
Kings’ Shopで妻子を下ろした後、私はあてどないドライブに出かけました。

あらかじめWebのマップで調べていた「Waiokanalopaka Falls」と「Keanapakulua Falls」ですが、よくよく見てみると、私有地の中なので入れなさそう
なのです。
そこで初日にQueens’ MarketPlaceで訪れた「Kuleana Rum」の蒸留所になら、と思ったのですが、出発した時点でそれも不可能なことは分かっていました。



家族との思い出も大切だし、共に過ごす時間も貴重です。
ですが、私は残された時間の中、少しでも多くの場所を訪れたい。ハワイであればなおさらです。
そこであてどなくドライブを続けた途中にふと折れた「Pu’ukohola Heiau National Historic Site」を訪れました。ただ、ここもすでに行き止まりとなっており、カメハメハ大王のハワイ統一の中で重要な役割を果たしたというこの場所のいわれを学ぶことはできません。
そこで、車を停めて少し歩き、ハワイの雄大な夕暮れを見つめながら、次にハワイに来られるのはいつの日だろうか、と考えていました。
コハラ山地やマウナケアも夕闇に少しずつその姿を失っていきます。次に私がこの姿を見られるのはなどと考えてはならず、来るという意志を示さねばなりません。




そうやって思いにふけっている間に行き止まりの場所に停まっていたもう一台の車のドライバーが博物館の方から戻ってきました。
妻子には19時にはKings’ Shopに戻ると伝えていたので、まだ時間はあります。そこで、もうすこし車を走らせました。
私が訪れたのは、「Kawaihae Harbor」です。ここでいよいよ光を失おうとする夕暮れとヤシの樹のコントラストを眺めながら、ハワイ最後の日を惜しんでいました。
https://maps.app.goo.gl/uDaBZ8y9s4Aku1GJ8


まだまだ行きたいところはあります。ハワイに次来られるのはいつの日か、などと嘆きたくありません。少なくともハワイ島の雄大な滝のすべてを見たい。死ぬのはその後です。
私の中でハワイ再訪の意欲が高まったところで、すっかり辺りは夕闇になりました。そして、19時までにKings’ Shopで妻子と合流できるか微妙な時間になってきました。そこで「Kawaihae Harbor」を後にし、帰路につきました。もう、左ハンドル右車線を一人で運転すること、夜に運転することも初めてですが気になりません。ハワイでの運転には慣れました。
あとはお店が開いているかは分かりませんが、「Kuleana Rum Shack」に訪れて、せめてお土産にアグリコールラムを一瓶買う事だけが望みです。

なお、帰りに自分の名の由来となったMauna Keaに関するグッズが欲しいと言っていた娘のために、Mauna Keaと書かれた看板の場所を訪れてみましたが、ゲートがあって退散しました。



そしてQueens’ MarketPlaceの「Kuleana Rum Shack」でアグリコールラムを一本買い求めることもできました。英語で会話しながら。

Kings Shopに車を回すと、妻子ともすぐに合流できました。25周年記念の何かが欲しいと妻が訴えてくるので、Na Hokuのバングルも買いましたが、それも含めてもう一度ハワイに来る私の意志は揺るぎません。次はアドベンチャーに富んだ旅を!


さて、ワイコロアビレッジに戻り、最後の夜を「KAMUELA PROVISION COMPANY」で過ごしました。皆がお酒を頼み、美味しい料理をともに。25年前にもこのお店に来たような記憶がかすかにあるのですが、もう覚えていません。
私はまだ行き足りない場所の数々がありますが、また来るとの思いは固く、旅を残念がる気持ちにはなりません。家族それぞれも、まずは25年の感謝と家族で今も過ごせることへの感謝があったと思います。

お店を出た後、プールサイドのベンチで寝そべって夜風にあたり、最後の瞬間まで旅を楽しむ家族。私もここでお客様からの電話を受け、横にいた娘と請求書を発行し、送付するまでの一連の流れもプールサイドのベンチでやり切りました。ハワイに来ても仕事ができることが分かったことも今回の旅の収穫です。


夜、部屋に戻った後、私は車の中にパソコンを置き忘れていたので駐車場まで取りに戻り、ホテルを見学しながら最後の夜を堪能しました。
ヒルトン・ワイコロア・ビレッジの中には人工滝があります。一つも滝が見られなかったので、せめて人工滝でもよいので写真を撮ると、ちょうど来られたご夫婦から英語で写真を撮ってほしいと頼まれました。そこで撮った後にお礼に対して「You’re Welcome!」と気さくに返せる私もいました。三日もいると少しはハワイの人らしくなれるのでしょうか?
今回、仁さんというハワイ移住を果たして現地に溶け込んでいる方とも知り合えましたし、私自身がハワイに惹かれていることも感じました。
今後、単なる旅行者ではない立場で来られないか、私なりに試行錯誤してみようと思います。


最終日。この日は早朝の飛行機に乗る必要があるため、まだマウナケアに日が昇る前におきました。
私達の部屋からはマウナケア山頂に輝く建造物も見えます。おそらくは天文台でしょう。



日の出の前に部屋を出る必要がありましたが、ホテルの前から出発する際には。朝日が辺りを照らしました。
次女のナビゲーションでコナ空港まで向かう中も、ハワイの雄大な景色は私の心をつかんで離しませんでした。人や建物が密集しているのが苦手な今の私にとって、ハワイの広大な景色は惹かれる存在です。


コナ空港の近くのTexacoでセルフ給油を済ませ、無事にレンタカーも返した後、コナ空港では、思い思いにお土産を買いました。私もラミネート加工されたハワイ島の地図を買いました。
そして、コナ空港からホノルルに向けて出発です。


ホノルル国際空港は、今やダニエル・K・イノウエ国際空港と名を変えています。
上院議員として長年米政界に携わったダニエル・K・イノウエ氏にちなんだ名前です。第442連隊戦闘団の英雄として第二次世界大戦の欧州戦線で活躍した氏の上院議員オフィスを模したスペースや、第442連隊戦闘団の歴史など、ダニエル・K・イノウエ国際空港には興味深い展示がいくつもありました。私もそれらを眺めながら、離陸までの時間を家族と過ごしました。
最後にStarbucksやChow Mein Expressで食事をし、Gift Shopなどでお土産を慌ただしく買いながら、時間はあっという間に過ぎていきます。

帰りもハワイアン・エアラインズを利用しましたが、私は結局、往復共に映画はみませんでした。行きはとあるパズルのような実装をやり遂げ、帰りの便では個人ホームページの設定を行っていました。

寝ようにも、海外の根性ある乳児が始終泣きわめいていて、あまり寝られませんでしたが、無事に機は成田へ。そして、車に乗ってわんちゃんを受け取りました。そこで、私はコナ空港で買ってきたはずのハワイ島のラミネートされた地図をどこかに忘れたことに気づきました(後日ハワイアン・エアラインズに問い合わせましたがとうとう見つからず)。

ハワイから帰ってすぐ、「イザベラ・バードのハワイ紀行」を読み始めました。150年前の文明も何も未開の時期に一人訪れたイザベラ・バード女史のような旅をしたいと買い求めた地図はなくしてしまいましたが、ハワイ島の自然に再び触れることを私の目標としたいと思います。


月末近いある日には、府中のお客様の訪問の後、横浜のお客様へ移動する必要がありました(11/28)。
横浜のお客様で長女と合流して仕事をこなした後、夜、ららぽーと海老名で長女と食事を楽しみました。

月末になって「よっちゃばれっ kintone 無尽 Vol.5」に伺いました(11/29)。
山梨で定期的に開催しているkintoneコミュニティも、すでに五回目。今回は富士吉田での開催です。



大月駅で富士急行線に乗りかえると、目の前に停まっていたのは水戸岡鋭治氏がデザインした「富士登山電車」。初めて出会いました。
富士吉田のドットワークPlusは「「よっちゃばれっ kintone 無尽」で毎回使わせてもらっています。

この日も八名で開催し、kintoneへの学びを深めるとともに、夜の「炭火居酒屋 yama」では七名でおいしくいただきました。


その日はビジネスホテル芙蓉で一泊し、翌朝は作業とオンライン打ち合わせをこなした後、富士吉田の街を散策しました。
まずは、御師宅後の観光案内所に立ち寄り、地元の情報を入手。
今回は富士吉田の街を自転車で巡りたかったので、富士山駅にトランクを預けました。そして、富士山駅屋上の展望スペースから見事な富士山の姿を眺めました。

そして、駅前の観光案内所でレンタサイクルを聞いてみると、富士山駅近くにHello Cyclingがあるというので、少し場所を探しましたが一台確保しました。
自転車に乗って向かったのは、昨晩の懇親会でお勧めされた吉田うどんの「美也川」さんです。私好みの美味しそうな内装と実際にいただいたうどんもとてもおいしかったです。

さらに、月江寺駅で駅鉄を楽しみました。ここで海外から来られた女性に道案内をしたエピソードは上に書いた通りです。


続いて訪れたのは近くの小室浅間神社です。この辺りは富士山の麓であるためか、浅間信仰が強く、浅間神社が散在しています。
こちらは、鎌倉幕府によって弑された大塔宮護良親王の首があるともいわれており、その古蹟がありました。


また、この神社の特色として、今も生きた神馬が何頭も買われていました。


私も厩舎から銀杏の木を眺めるお馬さんとしばしの会話を楽しみました。

そこから下吉田駅に歩くと、一気に海外からの観光客の姿が目立ちます。それまでもちらほら町中で見かけていましたが、駅前はたくさんの訪日観光客で占められていました。

私は駅鉄はあまりの観光客の多さにあきらめ、新倉富士浅間神社へと向かいました。
こちらは富士吉田市を紹介する写真には必ずと言ってよいほど登場する場所です。五重の忠霊塔と桜と富士山の姿は、富士吉田市の方のスライドでも何度もお見掛けしました。まだ未訪問だったので、この機会にと思ったのです。



途中、素晴らしい紅葉を愛でながら坂を上がりました。

日本を象徴するともいわれるここの景色の素晴らしさ、確かに目に焼き付けました。紅葉というタイミングもよかったのでしょう。周りは訪日観光客でごった返し、皆さんが思い思いに写真を撮っています。

私はその混雑から逃れるように、、ふと山へのルートに目をやりました。
登れるのではないか?そう思って登り、へとへとになったのは上に書いた通りです。
ただ、上った甲斐があり、素晴らしい富士や郡内の景色がみられました。


ただ、失敗したのは先に参拝すべき新倉富士浅間神社を下山した後に参拝したことです。間違えました。

さらに間違えたのは、帰り方です。富士山駅にトランクを預けています。そして下吉田駅で確認した次の下り列車は特急であり、各停は一時間近く待つ必要があります。そこで、やってきた時と同じくHello Cyclingを使って富士山駅に帰ろうとしました。
これが失敗しました。順調に富士山駅に近づき、ステーションでいざ返却を行おうとしたら、返却ポートが空いているにもかかわらず、何度やっても返却操作ができないのです。
問い合わせを何度か行い、返却操作も何度も繰り返しました。充電がまずい状況になってきたので、そこに停めたまま、昨晩訪れたドットワークプラスでドロップインして、作業をしながら充電を行おうとしましたが、全くらちがあきません。
どうも、返却予約が先約で確保されていて、私はそれに気づかず返そうとしてしまったのではないかと思いいたりました。
富士吉田市にはHello Cyclingのステーションが3か所あり、一か所は月江寺駅近くの私が借りた場所。もう一か所は市役所の向こう側にあって、そこに返すと到底富士山駅までの交通が確保できません。
つまり、富士吉田市のHello Cyclingのステーションの空きポートの分布が適正でないのです。

私は無念ながら、自分の借りた月江寺駅のステーションまで自転車をこいで戻しに行くことを決断しました。そしてそこから一駅列車に乗って富士山駅まで戻るのです。何のことはなくて、下吉田駅から一本待って各停に乗った方がよかったのでしょう。しかも無駄な金額をHello Cyclingに支払うことになりました。
相当納得がいかず、Hello Cyclingのサポートの方にはクレームに近いメッセージを送りましたが、後日やり取りを行って金額は支払うことにしました。

今もステーションポートの偏在には納得していませんが、返却ポートの確保を考えてから借りるようにしなければと思った次第です。

気持ちがすっかりささくれてしまい、自転車も返して、トランクも取り出して、最後に吉田うどんを富士山駅で食べようとしたら近くのお店も閉まっており、早々に大月駅の列車に乗って帰りました。
そして、大月駅前の「信玄」さんでほうとうを食べて帰りました。

最後にミソをつけてしまいましたが、今月も結果としては十分な旅ができたと思います。
来月もまた旅ができるようにがんばります。

今月、足跡を残した地は以下の通り。
東京都
 町田市、中野区、杉並区、千代田区、立川市、東大和市、品川区、目黒区、新宿区、府中市、稲城市、大田区
   神奈川県
    川崎市麻生区、横浜市旭区、横浜市泉区、横浜市都筑区、横浜市戸塚区、藤沢市、横浜市港北区
   千葉県
    千葉市美浜区、船橋市、君津市、鴨川市、富津市、酒々井町、成田市
   山梨県
    富士吉田市、大月市
  アメリカ合衆国
   ハワイ州
    オアフ郡、ハワイ郡

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§  今月のその他活動
人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも充実させる。その考えには揺るぎがありません。

・公園は二か所。「蚕糸の森公園(11/1)」「新倉山浅間公園(11/30)」

・美術館はゼロカ所。

・駅は二駅。「東府中駅(11/28)」「月江寺駅(11/30)」

・滝はゼロカ所。

・温泉はゼロか所。

・山は三山。「Mount Kilauea(11/21)」「新倉山(11/30)」「御殿(11/30)」

・酒蔵はゼロか所。

・神社は二か所。「小室浅間神社(11/30)」「「新倉富士浅間神社(11/30)」

・寺は一寺。「宝仙寺(11/1)」

・教会はゼロカ所。

・史跡は三カ所。「蚕糸科学技術発祥の地(11/1)」「ブラフ18番館(11/12)」「大塔宮護良親王古蹟(11/30)」

・博物館は一か所。「Volcano House(11/23)」

・遺跡はゼロカ所。

・城はゼロ城。

・灯台はゼロカ所。

・動物園はゼロか所。

・水族館は一か所。「鴨川シーワールド(11/9)」

・土木遺産ゼロか所。

・マンホールカードはゼロ枚。「」

・果物狩りはゼロカ所。

・浜はゼロか所。

・ダムはゼロカ所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。
・御宿印はゼロ枚。

なお、昨年の夏ごろから信長の野望 出陣でアカウントを作り、様々な場所を巡っています。市区町村ごとに完全に訪れると制覇ができます。
遠征という機能を使って制覇したのではなく、実際に訪れた場所で制覇した市町村について、ここに記しておきます。
・長野県北安曇郡白馬村 2023/11/12
・長野県北安曇郡小谷村 2023/11/12
・山梨県南都留郡山中湖村 2023/12/16
・神奈川県足柄下郡真鶴町 2024/1/25
・福島県双葉郡富岡町 2024/5/5
・福島県双葉郡広野町 2024/5/5
・東京都狛江市 2024/5/6
・神奈川県愛甲郡清川村 2024/5/12
・東京都稲城市 2024/5/25
・山梨県南都留郡忍野村 2024/7/6
・長野県南佐久郡川上村 2024/7/7
・長野県南佐久郡南牧村 2024/7/7
・山梨県南都留郡道志村 2024/7/7

私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
今月も仕事にからめてですが、バラエティ豊かな移動ができました。この地球にはまだまだ無限に行くべき場所があります。
少しでもこうした場所を訪れてから死にたい。私の人生の残り時間のなかでどこまでの旅ができるか。

加齢によって日々、気力は減退していきます。人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選びます。私も不意の体調不良に襲われ、コロナに感染します。一昨年の秋にはハイキングのつもりが一晩の遭難と化し、人里のすぐそばで死ぬ可能性も体験しました。
いつかやろう、引退してからやろうという姿勢を根本的に見直さねばなりません。もう、未来の社会や環境がどうなっているかわからないからです。そこに老いつつある自らの衰えがかぶさってきます。
生きている今。今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。
その姿勢のまま、仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。

死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えます。
それが分かっていても、自分に与えられた生を全力で全うしたいと思います。仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。そのためにもこうして書き残しておこうと思います。

今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されません。一方で、仕事の難しさや面白さも強く感じています。プライベートだけど充実させるのでもなく、仕事だけに人生を捧げるでもなく、その両立を目指す。だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもらず、一人でも旅を敢行したいと思います。
もちろん、さんねんまえ一昨年の秋に遭難した経験は忘れてはなりません。命をなくしては元も子もないのは当たり前。ですが、何もせず命を枯らすよりはましです。
家族との縁も毎月、姿を変えています。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。


そう思い、訪れた場所で心の赴くままに俳句を詠んでいます。今月は俳句を29句。いずれもツイートまとめに載せています。

一方で、具体的に将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げはなんとか確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていません。不労所得のタネも持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。


あらためて「私」を振り返ってみました。来月も自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。
頼りない経営者であり父であり夫であるにもかかわらず、家族が常に一緒に行動してくれることに感謝します。

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