公私の「私」
●家族とのふれあい
§ 総括
5月。
先々月から先月の中旬まで、忙しさのあまり、体調を崩していました。
先月の第一週は朝まで仕事をする日もあり、疲弊に拍車がかかっていました。
今月の連休からは、その疲れを癒し、活力を取り戻すための恩恵を受けました。
今月は、山梨・長野・大阪・兵庫・和歌山を訪れ、少しは自分の求めるワークライフスタイルに近づけた気がします。が、まだまだです。
仕事も充実させ、様々なところを旅してこその人生。
今年中に25都道府県を訪問する目標を立てています。今月が終わった時点で12都道府県。まだ半分です。
自分の残り少ない人生の中で、あとどれだけの場所に行けるか。どれだけのことができるか。
今月は家族とは一回お出かけしました。妻とは四回、妻と長女とは三回、妻と次女とはゼロ回、長女と次女とは一回、長女とは三回、次女とは一回。
§ 月表
・五月お出かけ
鶴川駅 (OH25)、小田急 新宿駅 (OH01)、えび豚骨ラーメン 麺屋 七喜、ファミリーマート 西新宿七丁目店、CEN CAFE、ターリー屋 新宿西口店、鶴川駅 (OH25)、鶴川駅 (OH25)、小田急 中央林間駅 (OE02)、大戸屋 エトモ中央林間店、オリーブの丘 町田木曽店、ローソン川崎下麻生三丁目店、くつろぎいちごハウス、ローソン 青葉荏田西店、ファミリーマート 府中住吉三丁目店、国営昭和記念公園、ららぽーと立川立飛、Style Factory、Diesel、ペットパラダイスDX、TOHOシネマズ 立川立飛、ヒルトップ レイチェルカフェ、南甲府駅、セブンイレブン 甲府丸の内1丁目店、みどり湖PA (下り)、筑北PA (下り)、姨捨SA (下り)、姨捨駅、姨捨公園、長楽寺、おばすて観光会館、川中島古戦場史跡公園、川中島古戦場 八幡社、長野市立博物館、川中島古戦場史跡公園、松操山 典厩寺、川中島典厩寺記念館、千曲川 (松代PA上り)、妻女山、妻女山展望台、山寺常山邸、黄檗宗 象山 恵明禅寺、松代象山地下壕、竹山随護稲荷神社、象山神社、佐久間象山先生像、佐久間象山宅跡、長野駅、長野市観光情報センター、ドン・キホーテ 長野駅前店、みーるマ〜マ 本店、柳原駅、松代駅跡、姨捨SA (上り)、西条駅、ローソン 山梨八幡南店、塩山駅、医大生キッチンカー、ローソン 山梨学院大学前店、清里の森、巨摩ファームヴィレッジ、NOUEN cafe、矢出川公園、国立天文台 野辺山宇宙電波観測所、南牧村農村文化情報交流館 ベジタボール・ウィズ、ホワイトラビット、野辺山駅、道の駅 南きよさと、イオンモール甲府昭和、未来屋書店 甲府昭和、3COINS+plus、ヴィレッジヴァンガード イオンモール甲府昭和、喜久好、十割そば囲炉裏、山梨県立文学館、芸術の森公園、竜王図書館、ガスト 甲府朝日店、甲州ほうとう 小作 甲府駅前店、ローソン 甲府駅前通店、談合坂SA (上り)、石川PA (上り)、鶴川駅 (OH25)、玉川学園前駅 (OH26)、合同会社アクアビット、玉川大学、玉川大学 朔風食堂、鶴川駅 (OH25)、小田急 大和駅 (OE05)、中国料理 北京飯店、二俣川駅 (SO10)、横浜ベイクォーター、Aloha Table Ocean Breeze、レッドロブスター 多摩境店、セブンイレブン 相模原橋本駅東店、ローソン・スリーエフ 相模原富士見町店、アメリア町田根岸ショッピングセンター、くまざわ書店 町田根岸店、サーティワンアイスクリーム アメリア町田根岸店、KALDI COFFEE FARM アメリア町田根岸店、ペットフォレスト アメリア町田根岸店、イオンシネマ新百合ヶ丘、鶴川駅 (OH25)、合同会社アクアビット、合同会社アクアビット、山田うどん食堂 成瀬店、鶴川駅 (OH25)、小田急 大和駅 (OE05)、相鉄 大和駅 (SO14)、二俣川駅 (SO10)、くら寿司 二俣川駅前店、大和市立図書館、小田急 大和駅 (OE05)、鶴川駅 (OH25)、鶴川駅 (OH25)、小田急 町田駅 (OH27)、JR 町田駅、大月駅、下吉田駅、福源寺、福地八幡宮、富士吉田商工会議所、やぶ、月江寺駅、八王子駅、町田駅、鶴川駅 (OH25)、JR 東京駅、株式会社ジョイゾー、東陽町駅 (T14)、野方ホープ 高田馬場店、高田馬場駅、JR 新宿駅、小田急 新宿駅 (OH01)、鶴川駅 (OH25)、鶴川駅前図書館、王禅寺、王禅寺のカキの原木 (禅寺丸柿)、王禅寺ふるさと公園、ビッグボーイ 黒川店、百合ヶ丘駅 (OH22)、タイムズ コーチャンフォー若葉台店、鶴川駅 (OH25)、JR 藤沢駅、茅ケ崎駅、モスバーガー 茅ヶ崎北口店、茅ヶ崎市民文化会館、イオン 茅ヶ崎中央店、ビッグエコー 茅ヶ崎駅前店、茅ケ崎駅、合同会社アクアビット、Over、スーパー三和 町田大谷店、オリーブの丘 町田木曽店、ガスト 八王子楢原町店、デニーズ 豊島店、三河島駅、クレヴァシステムズ、鶴川駅 (OH25)、二俣川駅 (SO10)、大戸屋 二俣川ジョイナステラス店、南林間駅 (OE03)、イーサン食堂、ヒメズバー、鶴川駅 (OH25)、鶴川駅 (OH25)、小田急 海老名駅 (OH32)、ららぽーと海老名、DONQ ららぽーと海老名店、JR 海老名駅、寒川駅、コメダ珈琲店 寒川店、寒川総合図書館、香川駅、本格七厘炭火焼 宝源、香川駅、JR 厚木駅、小田急 厚木駅 (OH33)、鶴川駅 (OH25)、小田急 町田駅 (OH27)、JR 町田駅、新横浜駅、東海道新幹線 新横浜駅、東海道・山陽新幹線 新大阪駅、エキマルシェ新大阪、JR 新大阪駅、御坊駅、丸仁商店、学門駅、紀伊御坊駅、市役所前駅、御坊市役所、西御坊駅、延命タワー、小竹八幡神社、堀河屋野村、丸仁商店、御坊駅、紀伊田辺駅、Django Hostel and Lounge、徳乃、田辺扇ヶ浜海水浴場、Django Hostel and Lounge、鬪鶏神社、湛増弁慶の像、田辺市街なかポケットパーク、南方熊楠顕彰館、田辺大橋、田辺城跡 (錦水公園)、田辺城水門、南方熊楠顕彰館、植芝盛平像、植芝盛平記念館、れんが屋、tanabe en+、五右衛門 一門店、和さび、Django Hostel and Lounge、セブンイレブン ハートインJR紀伊田辺駅前店、紀伊田辺駅、トヨタレンタカー 紀伊田辺駅前、新庄干潟公園、番所山公園、南方熊楠記念館、南方熊楠記念館、産直市場よってって南紀の台店、熊野本宮大社旧社地 大斎原、熊野本宮大社、石原商店、牛馬童子ふれあいパーキング、福定の大銀杏、南方熊楠山中裸像撮影場所、天神崎ビューポイント、紀伊田辺駅、セブンイレブン ハートインJR紀伊田辺駅前店、紀伊田辺駅、大阪駅、くら寿司甲子園店、東海道・山陽新幹線 新大阪駅、東海道新幹線 新横浜駅、鶴川駅 (OH25)、JR 町田駅、八王子駅、極楽寺、いなげや 八王子中野店、セブンイレブン 八王子インター南店、ガスト 八王子楢原町店、中華料理 弘福餃子、鶴川駅 (OH25)、小田急 大和駅 (OE05)、相鉄 大和駅 (SO14)、二俣川駅 (SO10)、モスバーガー 二俣川ジョイナステラス3店、鶴川駅 (OH25)、ファミリーマート 鶴川駅西店、小田急 町田駅 (OH27)、橋本駅、アリオ橋本、伝説のすた丼屋 アリオ橋本店、南橋本駅、JR 橋本駅、JR 町田駅、ファーストキッチン・ウェンディーズ 町田パークアベニュー、BOOKOFF SUPER BAZAAR 町田中央通り (本・ホビー館)、鶴川駅 (OH25)、小田急 登戸駅 (OH18)、JR 登戸駅、武蔵小杉駅、西大井駅、西大井創業支援センター PORT2401、蛇窪神社(上神明天祖神社)、伊藤博文公墓所、西大井緑地公園、タマンのカレー屋さん、マクドナルド 西大井駅前店、西大井駅、二俣川駅 (SO10)、木村屋 本店 二俣川店、二俣川駅 (SO10)、鶴川駅 (OH25)、合同会社アクアビット§ 家族とのお出かけ
家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かける機会は、今月は一回ありました。



ゴールデンウィークに家族でいちご狩りを楽しみました(5/3)。 結婚してから一、二年ほど行かれなかった年もありましたが、他の年は必ず年一回以上はいちご狩りに行っています。
今年は、うちの会社がJAさんの観光農園向けの収穫体験パークをオープンしたこともあり、横浜のくつろぎいちごハウスさんに行ってきました。いちごを堪能した後、昭和記念公園に行く必要があるので、なるべく横浜の北部と言う条件で探して。
いつぞや、くつろぎイチゴハウスさんのご自宅にサイトの説明に伺ったことがあります。その際のご自宅とは別の場所で挨拶し、うちの家族を紹介しつつ、存分にイチゴを楽しんでもらいました。広いハウスの中はもうシーズンオフ間際なので貸し切り状態。じっくりとイチゴは食べられました。4つの品種のイチゴがそれぞれ食べ放題。おいしかった。



続いて昭和記念公園へと向かい、ネモフィラの花を目指して、家のワンちゃんたちにも連れ4人と2匹で昭和記念公園を散策。かつて何度も来た昭和記念公園ですが、こうやって4人で来るのはほんとに久しぶりかも。 ネモフィラやポピーなどこの世を謳歌する花々を堪能しました。広い場所でのんびりと過ごす休日もまだよし。 帰りは近くのららぽーと立飛に行き、お買い物と食事を楽しみました。
§ 妻とのお出かけ
妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で四回でかけました。

最初は、塩山の駅で待ち合わせて、そこから山梨中を巡りました(5/5)。 まずはそこから山梨市に移動し、さらにフルーツパークのほうに向かい、渋滞をやり過ごして坂を下った見晴らしの良い場所。富士山が完璧に見える場所で、渡辺さんが医大生キッチンカーと言う面白い試みをしていました。

渡辺さんも含めた本物の医大生たちがキッチンカーを仕立て、点滴用のドリンクや、薬膳ドックなどを売っている試みです。 薬膳ドックはきちんと内用薬の袋に入れてくれる凝り様。味もおいしかったし、こういう若い人たちが面白い試みを山梨でしてくれていることに頼もしさを感じました。



そこから次に妻と向かったのは、山梨の反対側の清里。清里の森の中にある巨摩ファームビレッジのNOUEN Caféで甲府ちいクラの商品の手渡しを行い、その後そこでしばらく会話を楽しみました。

その会話の中でも出てきたのが、近くの野辺山天文台が、今公開中のコナンの映画の舞台になっていること。人がたくさん来ていることで、私もNOUEN Caféに向かう途中でよかったら後で野辺山に行かへん?と妻に声かけていました。



夕方になり、野辺山に行くとようやく人がはけ始めていました。展示室も見学させてもらい、見事なパラボラアンテナ群を見ながら美しい野辺山の空気を堪能しました。
すると妻はコナンの映画をまだ見ていなかった妻、数日後に見る予定だったけど、俄然見たくなってしまったようです。私も異存はなく、2人で夜のイオンモール甲府昭和の映画館に行くことに決めました。 そこで食事を食べ、買い物をした後は、映画を堪能し、甲府の家に宿泊しました。
甲府の家で一泊した翌日(5/6)、妻は山梨のコミュニティーのイベントに呼ばれていて、私とは別行動。夕方になって、甲府朝日町のガストで合流し、さらに夜も妻は甲府のことで打ち合わせの会食に出て別行動。夜中に一緒に町田に帰りました。

別の日には、秋のイベントの打ち合わせに妻と一緒に横浜のベイクォーターへ(5/10)。そこで待ち合わせて三人でAloha Table OceaBleezeで打ち合わせ。
さらにその翌日は、映画を見に行こうとなり、「異端者の家」を一緒に(5/11)。昔から妻はヒュー・グラントが好きですが、今回は今までのイメージを覆す役柄で、私としても面白かった。
§ 妻と長女とのお出かけ
妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で出かける機会は三回ありました。
まず最初は近所のオリーブの丘に食事を(5/2)。 また、家族でいちご狩りに行った際は、仲町台の駅で次女と待ち合わせたので、そこまでは3人でドライブ(5/3)。


また別の日は、妻がレッドロブスターに行きたいと言うので、3人で多摩境の店舗へ(5/11)。帰りはアメリアの町田根岸のショッピングセンターで買い物。
§ 妻と次女とのお出かけ
妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女との三人で出かける機会はゼロ回ありました。
家に帰ってきた次女とは話す機会はかなり多いです。また、次の途を考え始めているらしく、経験値をたくさん貯めているようで頼もしく思います。
§ 娘たちとのお出かけ
娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。今月は、長女と次女とは一回。長女とは三回。次女とは一回です。

長女と次女と一緒出かけたのは5月19日。この日は弊社の定例会議があり、事務所に長女と2人で夜まで残っていました。たまたまこの日は妻がいなかったことと、次女が早番シフトで早めに帰ってくると言うので、次女に事務所近くまで来てもらい、そこから一緒に夕飯を食いに行きました。 途中、スーパーで買い物をし、夜はオリーブの丘町田木曽店で夕食。たくさんの話をし、娘たちの成長を感じた一日でした。

長女とは、定例会議や仕事の際に何度も一緒に過ごしました。 例えばある日は、昼を一緒に近くの玉川大学の朔風食堂で一緒に食べました(5\7)。


また、別の日は茅ヶ崎でWIZ Gospel Choir 12th Anniversaryのコンサートに一緒に行きました(5/18)。本当は妻も一緒のはずだったのですが、妻が急用で行けなくなり、長女と二人で8人の仲間たちとゴスペルの歌声に酔いしれ、夜も皆さんとカラオケを楽しみました。

また、別の日は横浜のお客様のもとで説明会があって、事務作業している娘も呼びました(5/28)。その後は2人でモスバーガーで食事を取りながら、様々なことを話しました。
次女とは、私が仕事で新宿に行った後、次女の職場に訪問した際に会いました(5/1)。そこでコーヒーを飲みながら、私は仕事をさせてもらいました。
長女は2023年の4/1付けで雇用しました。
昨年の春からは、とあるお客様の事務担当として週一度訪問し、社会の風にあたってもらっています。
最近は一人でいろんなイベントに顔を出してくれてましたいますし、仕事で人の役に立てている手応えも感じているのでしょうか。
kintone若手交流会やkintone Café Tokyoのスタッフとしても活動し始めています。
この二月からは、弊社の事務所も本格的に稼働し始め、長女と事務所で二人でいる機会や、帰りに一緒に帰る頻度も増えました。
次女は3/6に一人暮らしの家を引き払い、家に帰ってきました。
2022年の末をもって私の中では子育ては終わったと思っています。娘たちにはそれぞれを一人の大人として対し、手助けができるところは私から手を差し伸べていこうと思います。
私にできることは親の頑張る姿をみせることぐらいかな。
●私自身の五月(交友関係)
§ 関西の交流関係
今月は和歌山に行きました。
kintone Café 和歌山です。前日と当日、翌日は皆さんと大いに学び、飲み、食べ、そして観光もしました。
またその翌日は実家に帰り、慌ただしい中でしたが、両親との時間、弟との時間を噛み締めました。
§ 今月の交流
今月は、仕事に絡んだイベントではあるものの、大勢の方と交流を深めました。
私の場合、公私混同の毎日です。私的な付き合いなのか、仕事をからめた付き合いなのか、区別はしないし、また、できません。
皆さんとの交流は本当に楽しかったです。
今月も皆様ありがとうございました。
●私自身の五月(コミュニティ・エバンジェリスト活動)
§ 今月の参加・登壇一覧
今月から、従来は法人側のまとめで書いていたコミュニティ活動やエバジェリスト活動はこちら側に記します。
・スナックジョイゾーに参加しました(5/16)。
今回の良いご縁を頂きました。ジョイゾー社の皆さんやその他の方々には感謝です。
・kintone Café 和歌山 Vol.3に参加しました(5/24)。
今回はは登壇しました。
皆さんに喜んでもらえてよかったです。
●私自身の五月(文化活動)
§ 弊社ブログへのアップ記事一覧
読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、書いていません。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、今は書くための時間がありません。前回アップしたレビューは2020年の年末のものですから、もう五年近くの間、レビューが書けていません。
今、私のプライベートの時間がほぼなくなってしまっています。仕事をからめた交流があるので精神的には困っていませんが、一人の時間がないことは見直さなければと考えています。
レビューをアップする冊数と本を読んだ冊数は、私にとってワークライフバランスのバロメーターです。ワークに偏っている今の状況を早く取り戻さねば、とかなりの危機感を持っています。
以前に連載していたCarry Meさんが運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」の続きを弊社サイトにアップする作業ですが、今月はアップできませんでした。これも長い間アップできていないので、なんとかして時間を作らないと。
今月、書いた本のレビューは0本()。
今月、書いた観劇のレビューは0本()。
今月、書いた映画のレビューは2本(
「名探偵コナン 隻眼の残像」
「異端者の家」
)。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた活動ブログは0本()。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は0本() 。
なお、一昨年のはじめから毎営業日にnoteに書き始めた記事ですが、今月は以下の内容をアップしました。
4月28日 4月28日 違う言語で話すことで自分も変わる
4月30日 4月30日 情報流通のあり方を改善し、生産性を上げる
5月1日 5月1日 AIエージェントのタスクを運用に乗せます
5月2日 5月2日 インプットとアウトプットのバランス
5月7日 5月7日 オペレーションの効率化とコンセプトの訴求の両立
5月8日 5月8日 経営者として学び続け、それをメンバーに促す責任あり
5月9日 5月9日 若い人たちとの交流は続けたい
5月12日 5月12日 より広い視点と知見から発信しなければ
5月13日 5月13日 囲い込もうと思わない方が良いよ。
5月14日 5月14日 散歩や外出のススメ
5月15日 5月15日 趣味を仕事にするくらいの心持ちで
5月16日 5月16日 ノーコードツールのメリットについてお話をしました。
5月19日 5月19日 口に出して言葉を発することが人を前向きにする
5月20日 5月20日 経営や人を率いるカリキュラムは義務教育で必要
5月21日 5月21日 普段のニーズからサービスを考える
5月22日 5月22日 タスクは並列を使いましょう。
5月23日 5月23日 商売と無償の境目
5月26日 5月26日 エコロジーとコミュニティ
5月27日 5月27日 紀伊田辺にはコミュニティのヒントがある
5月28日 5月28日 南方熊楠翁は憧れの人です
§ 今月の読書
今月は9冊の本を読みました。
内訳は、伝記四冊「戦禍に生きた演劇人たち 演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇」「クマグスの森 南方熊楠の見た宇宙」「南方熊楠 近代神仙譚」「辻邦生のために」。歴史小説二冊「じんかん」「月と日の后」。対談集一冊「理想の國へ 歴史の転換期をめぐって」。小説一冊「夜が明ける」。ビジネス書一冊「解像度を上げる」。
相変わらず、本を読めない毎日ですが、このままではまずいと思い、本をなるべく読むようにしています。
本を読む時間が取れなるとともに、集中力すらなくなっているように危機感を感じていますので。

今月は文学に関するトピックもありました。まず一つは、田毎の月で知られる姨捨の長楽寺の境内に夥しく建てられた句碑を見た経験です(5/4)。 古来から名月の名所として知られるこちらで、数えきれないほどの旅人や歌人、俳人が訪れ、それぞれの心の情景が歌として残されていることに、詠み人の端くれとして、何か残さねばと言う思いに駆られました。 私もそろそろ余生を迎えようとしていますが、何かを残していきたいという思いがあります。変化の激しすぎるIT業界の中でない別の場所で。

また、その翌々日(5/6)は、甲府で雨が降っていたため、山梨県立文学館に行きました。そこでやっていた展示会が辻邦生展。 辻邦生氏の著作は、私はまだ一冊も読んだことがありません。舞台となった西洋の各所や日本の各所を必ず訪れ、想像だけで書くのではなく、実体験を踏まえた著作を心掛けていたようです。 私も現地と体験を重んじる姿勢には強く共感します。今まで読んだことがなかったとはいえ、改めて辻邦夫氏に関心が湧きました。そこで月末に読んだのが、没後に奥様が本人の書く姿勢や思い出を綴った本です。
私が一昨年の年始に掲げた目標の一つは本を出版することですが、まったくそれが進んでいません。 仕事にかまけてしまっています。このことにもとても強い危機感を抱いています。このまま何も生み出さずに老いてしまうのでは、と。
§ 今月の映画
今月の映画鑑賞は二本です。
まずはコナンです。妻と見に行きました。
実は数時間前まで私は見に行くつもりはありませんでした。
が、妻と伺った清里の近くにある野辺山天文台が今回の舞台になっているため、妻を誘いました。そこで妻が映画をすぐ見に行くつもりになってしまい、私も異論なかったので、一緒に甲府の映画館で鑑賞しました。
「名探偵コナン 隻眼の残像」
また、異端者の家は、妻が昔から好きなヒュー・グラント主演のサスペンスです。私にとっては、ヒュー・グラントよりもその中で取り上げられた宗教の問題や宗教と組織の恐ろしさについて考えさせられました。
「異端者の家」
§ 今月の舞台
舞台については、今月は一本も観ていません。
§ 今月の音楽
コロナが始まってから’70’sから活躍したアーチストの全曲を聞く活動を続けています。サンタナの全アルバムを順に聴いています。ようやく、全てを聴き終えました。これからは20曲に絞ります。
サンタナに限らず、今月も様々な音楽を聞きました。
今月はゴスペルコンサートに行ったのがハイライトです。
「WIZ Gospel Choir 12th Anniversary」を8人の仲間と堪能しました(5/18)。
昨年も行きましたが、今回は一緒に8人の仲間たちと見に行きました。
そして昨年は初めてのゴスペルコンサートだったので、写真をたくさん撮ってしまい、歌そのものはきちんと入れなかったのかもしれません。今年は写真を撮らずにひたすら歌に聞いてました。
声を出す。人の心を浄化させ、発散させ、前向きにさせてくれます。神のスペル、つまり言葉を発することで、人は前向きになれます。 メロディーよりも言葉。 それを思うままに身振り手振りで自由に表現し、歌い上げるのがゴスペルの良さです。 私もなかなか歌う機会は無いですが、こういう風にして皆さんと歌う機会を持つのは良いことだなぁと思いました。
それを早速実践したのが、その後に皆さんと行ったカラオケです。私も思うがままに絶叫しました。
§ 今月の美術
今月に触れた南方熊楠翁の作品や生き方が芸術でした。
博覧強記の翁の描いたものはたくさん残されています。文章、手紙。ですが、実はそうした文章の中に絵が多数残されています。
たくさんの標本を写生し、後世に残しました。
文章だけでなく、絵でも遺せる。それこそが南方熊楠翁がその名声を後世に残せた理由かもしれません。文章だけでは新種の粘菌と言ってもなかなか認められませんが、それをイラストとともに標本として送ったことで新種と登録されたのは確かです。
南方マンダラの3次元でこの世を表そうとする試みなど、美術という枠を越えて、翁の場合、人生そのものが芸術であり美学だったのだと思います。
それと、長野市博物館に行った時、川中島合戦を表す屏風や、多数の美術品も私の美術欲を満たしてくれました。
また、その博物館の企画展では、貝の展示が並べられていました。貝殻の多種多様な造形を見ていると、形とはなんと尊いのかと言う感想が芽生えました。これもまた美術です。
§ 今月のスポーツ
今月は、スポーツという意味では、新たな経験がありました。
合気道です。田辺市は、実は合気道の創始者である植芝盛平翁の生まれた地。東京に出るまで病弱だった心身を鍛錬し、後世に名の伝わる巨大な人物に育ちました。
植芝盛平記念館では、合気道の演武の動画を流していました。
私も今までにYouTubeなどで合気道の動画は何度も見たことがあります。
相手の体を知り、尽くし、力点や重点の移動などを完全に把握した上で、その逆をとって、相手を簡単にあしらう。その不思議な技は、かの嘉納治五郎翁をして、究極の武術と言わしめたようです。
中でも、その合気道の精神として、優劣や勝ち負けにこだわらない精神は、私の中で強い印象を与えました。
この後、kintone Caféのコミュニティーに参加するあたり、コミュニティーとはこうあるべきと言う印象を強く与えてくれました。
§ 今月の滝
今月は滝を訪れられませんでした。
今月は旅は結構したのですが、滝には訪れられず。
姨捨の近くにもなかったことや、田辺・熊野では皆さんとの団体行動だったこと、近くに場所がなかったり、時間の都合で今月は1カ所も行けませんでした。来月は滝を訪れるつもりです。
§ 今月の駅鉄
今月は12駅を訪れました。「姨捨駅(5/4)」「柳原駅(5/4)」「西条駅(5/4)」「塩山駅(5/5)」「香川駅(5/22)」「御坊駅(5/23)」「御坊駅(5/23)」「学門駅(5/23)」「紀伊御坊駅(5/23)」「市役所前駅(5/23)」「西御坊駅(5/23)」「南橋本駅(5/29)」
姨捨駅は、日本の数ある駅の中でも10本の指に入る位の名駅として知られています。日本3大車窓の一つと数えられたこともあります。
駅のホームから見る善光寺平の風景は見事の一言ですし、夜にタイミングがあえば田毎の月も眺めることができます。
日本でも数が減っているスイッチバック駅の一つでもあり、しかもこの駅は単純に折り返すだけの構造に加え、横に通過線まで用意されているため、スイッチバックで止まっている列車の横を特急列車が通過する姿も見られます。
様々な見どころの詰まった駅といえます。
柳原駅は夜の訪問です。原則として駅鉄は夜には行かないのですが、長野電鉄の駅に行く暇がなく、夜の訪問となりました。
素朴な駅舎の中には、折り返しの島式ホームが。私が行った時、ちょうど小田急からやってきたロマンスカーが特急として通過していき、夜とは言え目を見開きました。
また、ここには含めていませんが、廃止された旧松代駅舎の中も夜に入れたため、立ち寄ってきました。 長野電鉄の松代線は残念ながら廃止されてかなりの時間が経っており、この駅舎もやがては解体されるようです。また来たいと思いました。
西条駅はわざわざ帰りに高速のインターを降りて向かいました。ここも夜の訪問です。篠ノ井線の本数もぐっと減ってしまい、駅舎には誰もおらず、私がいる間も列車はおろか、車すらほぼ通りませんでした。ここもまた昼間に来てみたい駅です。
塩山駅は、朝、妻が町田からやってくる際、この近くの医大生キッチンカーに行くために待ち合わせました。
待ち合わせる間、駅前や駅舎を写真に撮り、今まではほぼ通過だけだったこの駅の様子をきちんと写真に収めました。
塩山駅は駅前に風情があります。南口は再開発され、きれいなロータリーができて新しいのですが、北口は甘草屋敷がその軒の存在感をしっかりと残しており、旧市街地の商店街なども健在です。地方の商店街らしさが残っている北口には、信玄公の銅像も鎮座しています。
塩山は街のコミュニティも面白いという話も聞きます。また、駅前に来る機会はあるでしょう。
香川駅は、仕事でよく一緒にやっている方がこの近くに住んでおり、先々月あたりにもお家にお呼ばれしました。今回は駅前の焼肉屋さんでご夫妻から飲もうとお誘いされ、早めに駅に着いたので駅の写真をたくさん撮りました。
御坊駅は、新大阪からくろしおではるばるやってきました。
翌日のイベントで紀伊田辺に行くことは確定していましたが、なんとしてもこの駅から発着する紀州鉄道の全線を巡ろうと思っていました。そのため、14時着と言う遅い電車でしたが、駅に到着するなり、駅舎やホームなどを撮りまくりました。
その御坊駅の0番線ホームにあるのが、紀州鉄道の御坊駅です。
駅業務は完全にJRにお任せで、タッチ式の自動改札がポツンと立ち、時刻表が掲示されています。紀州鉄道の駅を示す案内の床のペイントもあります。が、それ以外は完全にJRの御坊駅に吸収されています。
ただ、一時間に一本ほどやってくる列車には、地元の高校生たちが乗り込んでおり、通学電車としてはまだまだ需要があるようです。


また、この駅のホームの端には学問地蔵と言う祠が建てられています。その中にはお地蔵が鎮座していました。ホームにこのような地蔵が設置されている駅もなかなかないでしょう。学問地蔵という名前自体が興味深いものでした。この駅は全国にその名が知られているようですが、学生達の駅として残ってほしいと思いました。
そこからお隣にあるのが紀伊御坊駅。ここは紀州鉄道の事務所があります。駅舎もなかなか立派です。私が行った時は、窓口の中に一人の若い男性がいました。私が窓口に近づくそぶりを見せると、窓口に出てきてくれたので、紀州鉄道開業50周年記念の開運釣鐘乗車券と学門駅のキーホルダーを買いました。
この乗車券の有効期限は昭和53年となっており、本当に当時のものが47年以上の月日を経てまだ売れ残っていることに驚きました。
後で知ったところ、この記念乗車券の売り上げのおかげで、この駅舎が新築されたのだとか。
駅の線路脇にはかつて使われていた客車が静態安置されています。鉄道グッズが並べられ、写真なども。また、地元の方に貸し出すためのちょっとした文庫も設けられています。脇にはかつての車両も展示され、車両が好きな向きにはお勧めの場所でしょう。
続いて私が向かったのは、お隣の市役所前駅。すぐ近くに立派な御坊市役所が立っており、しかも立て替えられたばかりだとかで、とても新しい様子でした。調べたところ2024年に立て替えられたばかりだそうです。
そんな立派な市役所の脇にあるこの駅は、簡素この上ない状態でした。 そしてこの駅からは南へと伸びる線路の先には列車が止まっているのが見えます。西御坊駅です。隣の西御坊駅との駅間はかなり短いのでしょう。 そうした光景も含めて、この駅の特色だと思います。完全に街中に溶け込んでいる駅とは、こういう駅を指すのでしょう。
そして終着駅の西御坊駅です。紀州鉄道の終着駅として、この駅はかなり駅舎が古びています。
今までにも幾多の変転があった駅のようですが、駅舎の中はベニアがいたるところで剥がれ、下地はおろか中の構造まで見えていました。
この駅は、駅舎の待合室とホームの位置関係にも特徴があります。導線が駅のホームに対して垂直になっておらず、車両とホームと待合室が平行になっています。その導線において改札を行う構造は、最近の駅ではあまり見かけません。
明治・大正・昭和初期にはこのような駅の構造が当たり前だったのかもしれません。改札口も無骨で、駅の改札員が切符を拝見して、ハサミを入れていた当時の様子が目に浮かびます。
今の現存するローカル駅でもなかなか見ないタイプです。
この駅からはさらに南に向かって線路を伸ばしています。かつてはこの先に日高川駅という駅があったらしく、線路も伸びています。私もその後少しだけたどってみました。今回は日高川駅には寄りませんでしたが、紀伊御坊駅で購入した釣鐘記念乗車券には、その名前がまだ残っていました。
あまりにもこの駅の佇まいが私を魅了したため、予定していなかった仕事をそこの待合室で再開し、やり遂げてしまったくらいです。
なお、西御坊駅にも係員はいませんでした。そして、運転手が到着すると駅の乗務員詰所のような場所に入り、一時間ほどして出発する際にも、その詰所から出てきて運転席に座るのが見えました。それも同じ人が。
つまり、一日中、同じ乗務員が往復しているのではないでしょうか。また、紀伊御坊駅以外は全て無人駅で、紀伊御坊駅も一人だけしかいませんでした。つまり、全線の運行をたった二人でやっているのじゃないかと言う疑問が湧きました。
最後に南橋本駅です。商談の後、この駅に寄りました。
この駅は私にとっても思い出深い駅です。最後に私がサラリーマンをしていた時の会社が、まさにここから歩いてすぐのところにあったのです。
当時は何度か駅を利用したし、当時はなかったはずのマンションが周辺に立ち並び、相模原市の副都心の一つとしての橋本の繁栄が、この駅も変えたことがうかがえます。そもそも駅舎自体も完全に建て替わってしまっていました。
懐かしいと言う気持ちと共に、今の駅の姿を写真に収めておきました。
なお、エキタグは今月は10駅で押印しています。「新大久保駅(5/1)」「身延線南甲府駅(5/4)」「篠ノ井線姨捨駅(5/4)」「中央本線中央東線塩山駅(5/5)」「小海線野辺山駅(5/5)」「富士山麓電気鉄道下吉田駅(5/15)」「中央本線(中央東線)大月駅(5/15)」「東海道線・湘南新宿ライン・相模線茅ヶ崎駅(5/18)」「常磐線三河島駅(5/20)」「横浜線・相模線橋本駅(5/29)」
§ 今年の酒楽
今月は飲む機会がまあありました。ただ、疲れからか酔いが回ってしまうことが多かったです。延べ八日、九軒で飲んでました。
まずは富士吉田市で研修講師を務めた後、お連れ頂いた「やぶ」で(5/15)。
ここはとにかく料理がおいしかったです。特にカツ丼は私の人生の中でもTop3に入ると思います。お酒は普通にハイボールしか飲んでおらず、お酒で何かということはないのですが、とにかく料理に尽きます。カツ丼はまた食べたい。
なお、5/2には家で富士吉田市のふるさと納税の返礼品のふじやまビールを楽しみました。
そしてスナックジョイゾーです。今回もとてもよいお酒を頂きました(5/16)。
ここのところ、差し入れをしていないので、また今度のスナックジョイゾーには差し入れをお持ちしようと考えています。
そして、お酒を飲みつつ、しこたま歌ったのが「ビッグエコー 茅ヶ崎駅前店」です(5/18)。その直前まで「WIZ Gospel Choir 12th Anniversary」で皆でゴスペルを堪能した後、実践として訪れたこちら。各自イオンで買い込んだお酒をがっつり楽しみました。
また、今月は久々に一人でバーでゆっくりした時間を過ごしました。「ヒメズバー」です(5/21)。
こちらではモヒートから入ったのですが、まずカクテルの作り方から期待できそうです。きっちり絞ったライムに程よくすりつぶしたミント。味の加減もばっちりでした。
お店の感じもよい感じ。また、マスターもほぼ寡黙で、よく私の素性をさりげなく聞いてきたりするのですが、それもなく。
つい、アクアビットのLINIEを頼んでクイっと飲んでしまいました。もちろん、ボトルとグラスはキンキンに冷やして出されたことは言うまでもなく。良いお店でした。また来ると思います。
別の日には、藤村さんご夫妻と一緒にお酒を頂きました。「本格七厘炭火焼 宝源」です(5/22)。こちら、茅ヶ崎ホルモンを謳っているのですが、これがまたどのお肉も絶品。
お酒もがっつりと進みました。藤村さんご夫妻といえば泡盛。がっつり酔っぱらいました。こちらもまた来るはずです。
そして和歌山の田辺へ。着いたその日にキミコさんと飲んだのが「徳乃」さん(5/23)。田辺にはかつて「親不孝通り」と呼ばれていた通りがあり、今は味光路と名を変えていますが、飲み屋の佇まいなど、風情があってとてもよいです。
そして、こちらでは「もちかつお」を頂きました。かつおが水揚げされる地でしか提供されないもちもちした感触。たたきとは違う感じがとてもおいしく。そしてこちらではくじらやうつぼなどに舌鼓をうちました。
お酒はそこまで飲まなかったのですが、地元のかんきつを用いたリキュールがおいしく、何杯かお替りをしてしまいました。この界隈はまた来たいと思いました。
そして翌日。kintone Café 和歌山の後はお楽しみの懇親会(5/24)。
まずは「五右衛門 一門店」で一次会。大きな広間で大勢で飲み食いし、まずは早速全開。ここではとにかく会話がさまざまなに盛り上がりました。もちろんお酒も何杯もいただきましたが、何を飲んだか覚えていません。
さらに二次会は「和さび」で。こちら、とても狭いのですが、その狭さがとてもよく、お酒も進んでかなり酔っぱらいました。紀州の人々のおおらかな気風も味わうことができ、「せち焼き」もいただくことができました。いやぁ美味しかった。また来ます。
そして最後は「木村屋 本店 二俣川店」でお客様の送迎会にお呼びいただきまして。
もつ焼きにはビールがあう!というわけで何杯もお替りして楽しみました。
今月は他にも色々とお酒を楽しみました。
前月のWhisky & Spirits Festivalで購入したラムも届きましたし。
こうしたお酒の力を借りて、タフな今月が乗り切れたような気分です。
§ 今月の旅行
今月は、7都道府県を訪れました。
そして、仕事でもさまざまな場所を訪れました。いつもの通りです。
家族と出かけ、妻と出かけた行程は上に書いているので割愛します。
私が一人で出かけた長野の旅(5/4)と友人たちとの和歌山の旅(5/23-25)について書きます。
甲府から車で向かい、私が降りたのは姨捨サービスエリアのスマートIC。
ここからまず姨捨駅を訪れました。駅をすっかり堪能した中で、姨捨公園にも訪れました。
そしてその後、長楽寺で句碑の数々やこの辺の旧跡を紹介した資料館で、きちんと田毎の月や名月の郷についても学びました。
そこから私は車で一路川中島合戦場へ。今まで生きてきて一度も来たことがなかったこの地に来られる喜び。
駐車場に止め、早速、武田軍の本陣があったとされる八幡神社を参拝します。
境内の両雄一騎討ちの銅像もきちんと目に焼き付け、いまだに残される様々な旧跡や建てられた碑なども存分に見て参ります。陣立て図もきちんと掲げられていたので、私の意識も当時のこの地の様子を思い返しながら、気分は戦国武将になったつもりに。
そのまま隣接された長野市立博物館に行きました。川中島合戦の常設展を見たくて。
ただ、その前に常設展の長野の歴史について学びました。善光寺平、つまり長野盆地がどういう地層でできたのか、産業や暮らしなどについて学びました。以前にも善光寺の歴史を語る本を読んだ事がありますが、善光寺の歴史はかなり古く、由緒と謎を秘めたお寺です。
諏訪大社を擁する諏訪盆地だけでなく、その北にある長野盆地にもこうした歴史の積み重ねがあること。文化や歴史が培われていること。まだまだ長野に私の知らない事は多そうです。
そして、川中島合戦の常設展です。新たに加わったスペースのようで、新しいだけあって動画や展示物にも工夫が施されていました。それほど広くないスペースではありますが、5回に分けて戦われた川中島の合戦を時系列やそれぞれごとの場所などコンパクトに理解させるような展示になっていました。壁のパネルにも情報が載っていましたが、こちらはむしろうんちくに属するもので、この展示の使い分けやメリハリがとても良かったです。
また、その隣では貝の特別展を見ました。
博物館をでた私は、八幡原歴史公園の中をぐるぐると巡り、首塚なども見て回りました。
その次に典厩寺です。典厩とは、武田典厩信繁のこと。武田信玄の弟として、名将と称えられた人物ですが、第三回の川中島合戦において討死を遂げました。
余談ですが、海道龍一朗氏の「我、六道を懼れず」における典厩の討死のシーンは、私の好きな歴史小説の場面の一つです。
この典厩寺には川中島資料館が併設されています。様々な展示物が展示されていましたが、境内には様々な碑も建てられています。同じ典厩信繁にあやかって名付けられた真田信繁の供養塔や明治の海軍大将達が典厩信繁を偲んで立てた碑なども残されています。また道には日本一大きいとされる閻魔大王像が展示され、なかなか小さいながらに、いろいろな見所のある寺です。
川中島資料館も典厩ゆかりの品が多数展示されています。典厩が使用したとされる槍など、本当に当時のものかと思いたくなるような展示も。
ここは川中島合戦の最大の激戦だった第三回の戦いにおいて、当初、上杉軍が陣を敷いていた場所です。
ここで、私は訪れる前、カーナビの地図が古いため、まだ長野電鉄が残っていると勘違いし、その駅に向かってみました。もちろん駅はなく、路盤も線路も架線も何もかもがなくなっています。この地域でも鉄道の役割がなくなってしまったことをさびしく感じました。 その途中、上信越道の松代パーキングエリアの裏側から中に入り、アップルパイを買いました。結局、私が日の明るいうちに私が食べたものはこのアップルパイだけです。
次いで、妻女山へ車で登りました。上まで車で行くことができたので、そこの社に参拝しました。さらに展望台から目の前に広がる川中島と善光寺平を遠望しました。今は干拓が進んでおり、一面の田畑です。が、当時は、川が土地を自由に流れ、島が所々にあるような場所だったのかもしれません。
そんなことも思いながら、この広い地で武者が中央に駆け巡った合戦の様子に想像の翼を広げました。
続いて私が向かったのは松代です。当時、武田軍が最初の陣地にしていた海津城は今の松代城。
ただ私はそこよりも先に象山地下壕へと向かいました。ここは、旧軍が太平洋戦争末期に急遽、皇室や司令室を移そうとし、穴を掘っていた防空壕です。ここには前から行きたいと思っていました。
ところが、松代の街中を車で走っていると、駐車場が見つかりません。街をぐるぐると巡ってしまいました。結局、駐車場が少しだけあったので、そこに停めたのは良いけど、係りの方が不在で小銭入れに入る方式でした。ところが、その時に小銭の持ち合わせがなく、近くには自販機すら見当たりません。近くの山寺常山邸に向かったのですが、ここは無料で入れたため、小銭を崩す場所がありません。やむなく後でお金を払おうと思い、防空壕に向かいました。ところが、防空壕は既に閉まっていました。開場時間を過ぎていたのです。
ただ、壕の入り口は写真が撮れました。そこで、写真を撮りました。壕の入り口の横には朝鮮半島から強制徴用され、建設に従事させられていた方々を追悼する碑が建てられています。また壕の隣には、そうした方々を追悼するための資料館も建てられています。そこも入れなかったので、今度来てみようと思います。
こうした施設を巡る活動をダークツーリズムと言います。私のライフワークの一つです。今回、松代の地勢は理解したので、もう一度来てみようと思いました。
そのかわり、近くにある神社やお寺などは巡りました。あんず姫と言われた第3代藩主幸道公の奥方である豊姫の墓ももうでました。
そこから、次に向かったのは象山神社です。ここは幕末の思想家、佐久間象山の生家跡であり、その遺徳を偲んで神社が建てられています。
ここもかなり良かったです。私も昔から佐久間象山の名前は知っていました。が、私、この時に参拝するまでは、ずっと象山を「しょうざん」と思い込んでいたのですが、ここは「ぞうざん」と読んでいます。それぐらい私はきちんとした伝記を読んだことがありません。
吉田松陰を始め、そうそうたる門弟を擁した佐久間象山は近代に向かう日本にとって欠かせない人。
紳士服のアオキで知られるアオキグループの創業者の方も近くで創業した後、後年佐久間象山の偉大さに感銘を受けたそうです。そこで、当時の藩主幸貫公や佐久間蔵山をはじめ、高名な門弟たちの像を寄進し、それらが馬蹄状の形に並んでいました。私もじっくりみました。
私もまた、佐久間象山の事績に感銘を受けた一人です。
また機会を見て学ぼうと思いました。
それにしても松代の街は興味深い。合戦場や真田藩の遺構に加え、佐久間象山を輩出した地でありながら、象山地下壕といった愚行の跡地を併せ持っています。また来ようと思いました。
私は、日が傾き始めているため、長野駅へと向かいました。この辺で今からマンホールカードが入手できるのが、長野駅の観光案内所だったからです。
15分前に着き、無事に入手できました。
駅のコンコースには巨大なコナンの吊り広告がぶら下げられ、コナンのポスターもかなり目立ちます。
皆さんが写真を撮っているので、コナンが長野に来るのかなあと漠然と思っていました。また、駅前のドンキホーテで充電器のコードを買いたくなり、向かったのですが、そこの駅の広場に女人菩薩の像が立っていて、そこでも誰かが写真を撮っていました。
その時の私には知る術もなかったのですが、これらの場所のどれも、翌日の夜に見にいったコナンの映画で場面となっていました。
さて、長野駅での用事も終わったので、夕飯のことを考えなければ。
そこで、途中の国道沿いで看板を見かけ、気になっていたビュッフェレストランに向かいました。信州の食材を使ったブュッフェスタイルには惹かれます。調べてみると少し長野駅からさらに北に向かって行った方にあるとの事。
noteにもこのレストラン「みーるマーマ」の事は取り上げましたが、とてもおいしかったし、店内の運用なども含めて、色々と仕事をの目になって観察しました。
続いては和歌山の旅です(5/23-25)。
金曜日の朝、町田を出ました。そして新横浜から新大阪を経由して御坊に向かいました。車中の「のぞみ」と「くろしお」の車内ではほぼ仕事モード。車窓を見るゆとりもないほど仕事に没頭していました。くろしおに乗るのも初めてで、梅田連絡線を通るのも初めて。ところが、道中はところどころしか車窓を見れてません。
御坊駅に着いたのは14時です。駅では多数の写真を撮りました。さらに、駅前のマールカフェでめっちゃおいしいサンドイッチを食べ、ついでにレンタサイクルを借りました。
トランクも預かってもらい、自転車で御坊の街へ。
紀州鉄道の素朴でひなびた感じを楽しみながら、線路に沿って南へ向かい、足を伸ばして隣の美浜町まで。道中に訪れた駅駅は上に記載しています。
美浜町では、津波が襲ってきたときに避難するタワーも見つつ、御坊の寺町もぐるりと巡りつつ、デイサービスが多いことに地方の都市の置かれた厳しい現実を感じました。
今回は市役所の前だけ少し42号線を通りましたが、その42号線の賑わいから外れた街は、可能性があるのにかなりひなびた感じがしました。この辺を再開発して町おこしをすればもっと御坊には可能性があるように思いました。
特に紀州鉄道は、街の誇る遺産として、何かしらの形で動く形で残すべきでしょう。いずれ見直される日が来ると思います。
もちろん御坊市を始めとしたこの辺は東南海地震の際にどうなるかわからない不安があるため、なかなか活性化に踏み出しにくいのもわかります。私にとってもそれが歯がゆい。
その日の夜は、普通で紀伊田辺に向かいました。そして、DJANGO Hostel & Loungeにチェックインした後、近くのにぎりやでこの地方の名物であるめはり寿司を楽しみました。そして、翌日のkintone Café 和歌山の主催であるキミコさんと落ち合い、味光路の中にある「徳乃」で前夜祭。
美味しい料理と酒とともに会話を楽しみました。3時間近くいたかな。
その後一緒に、夜の道を歩き、私はその後海辺の方へぐるりと。
翌朝、あまり寝られなかったこともあって、早めに宿を出た私は、闘鶏神社を参拝し、まずは地元の氏神様に挨拶。さらに街を歩き、田辺町中ポケットパークで観光情報仕入れた後は、田辺城跡へ。ここで見た河口と海岸の位置が戦国時代から変わっていないように見えることから、田辺の街は度重なる地震や津波にも関わらず、災害に強いのではないか、と言う仮説を立てました。
さらに南方熊楠顕彰館では、サイボウズのかんちゃんと遭遇し、私はそこでじっくりと時間を忘れて翁の業績と執念に耽溺しました。
私の憧れの人、目標の人として、こうした生き方がしたいのに、それができていないもどかしさ。
その辺の事はnoteにも書いたので、ここでは繰り返しません。
さらに、私が向かったのは、植芝盛平翁の銅像と、植芝盛平記念館です。翁や翁の創始した合気道については、上に書いたので割愛します。
もうkintone Café 和歌山の始まる時間は迫っていましたが、昨晩、キミコさんに教わった「れんが屋」でカレーを美味しくいただきした。そこでキミコさんに借りた傘を差してDJANGO Hostel & Loungeに戻り、急いでシャワーを浴び、隣にあるtanabe en+へ。
ここでkintone Café 和歌山 Vol.3に臨みました。そして、存分に学びました。詳細については別途ブログに書く予定なので、ここでは割愛します。
が、私としても田辺市のデジタルツインの取り組みや先進性を十分に理解しましたし、田辺さんと私と石際さんの流れや、他の方の登壇内容も含めて、とても内容が充実していたと思います。
夜も、懇親会の1次会2次会では大いに楽しみ、飲みました。田辺市の街の様子も市役所の取り組みも、そして人も可能性があるように思います。
街のウィークポイントがあるとすれば、東南海地震のリスクマネジメントでしょうか。ただ、闘鶏神社や街中に残る古い建物、田辺城の位置を考えると、そこまで言われるリスクは無いのではないかと言う気がしています。
ここは部外者が軽はずみな判断を述べるべきではないのでしょうが、田辺市さんの取り組みの中にはそうした考慮も含まれており、私としては課題先進地としても、伝統やDXの取り組みなども含めて可能性のある街と受け取りました。
この辺りはどうしても隣の白浜町が注目されますが、そこと合わせて田辺都市圏で人を集められるポテンシャルは十分に持っているように思います。
まずは新庄干潟公園へ。ここには安政と昭和の東南海地震の津波の到達水位が示された記念碑が立っています。その高さはやはり高い。津波を軽んずるなかれの教えを我々に喚起するには充分です。
この碑、根元にはボタンが付いていて、それを押すと頭上から津波の飛沫を体感できるアトラクションまで備わっています。
実際は親水公園だけあって水遊びをしたお子様を洗うためなのですが、それを知らない私は、あわや旅の入り口でずぶ濡れになるところでした。
続いて向かったのは白浜。番所山公園の上にある南方熊楠記念館です。ここでは、高垣館長がお出迎えしてくださりました。高垣館長は、キミコさんの中学時代の恩師ということで、そうしたつながりがまだあることも素晴らしいですし、教師の第二の人生として南方熊楠記念館の館長をされている高垣さんのやりがいのある人生に大きな感銘を受けました。
実際、高垣館長からは南方熊楠翁について、熱心なご説明をいただきました。約三時間半ほどでしょうか。おそらく普通の人は疲れてしまう時間かもしれません。が、私たちにとってはまたとない機会であり、貴重かつ得難い体験でした。
noteにも書きましたが、人生で何を成し遂げるのか。AIが幅を効かせる今、人類が無しあることは何かについて、南方熊楠翁の人生や実績から得られることは多いです。
いろいろなことを考えさせられました。
高垣館長にもこうしたご恩をいただいたキミコさんにも感謝です。
続いて一行が向かったのは、昼食を求めてです。ただ、白浜の有名なお店は残念ながら満席または行列でと店に入れません。そこで私たちが向かったのがyottetteという南紀の台にある農作物直売所とフルーツ公園とレストランが併設された施設です。
できたばかりと聞きましたが、ここの料理がまたおいしかった。私はしらす丼をいただきました。目の前の二人が食べていたハンバーガーがおいしそうだった。
実はここに来る直前まで、私たちはアドベンチャーワールドに行く予定でした。そのため、チケットももらっていました。
そんなわけで、yottetteの後、私たちが向かったのは熊野本宮大社。
田辺市の山奥にある熊野三山の1つです。私も10年以上前に妻と参拝したことがあります。大斎原の巨大な鳥居でも有名です。
その道中は、何回かの交替の末に、私が運転を担当しました。とはいえ、時間が限られているため、途中はあまり道に寄らずに行きました。この辺は道の左右に滝や○○王子神社が鎮座し、熊野古道も沿っています。
この辺はもう一度ちゃんときたいなと思っています。
熊野本郷大社では、大野原の鳥居を見てから、大社に参拝しました。ここで大社の正確な参拝順をすっかり忘れていたのは、私もダメだなと思いました。
最後はキミコさんの運転で田辺まで。私たちが向かう予定だったのはもう一つ。南方熊楠山中裸像撮影場所です。ここは神社合祀政策に反対するため、あえて冬場に裸で南方熊楠翁が写真撮影に挑んだ場として、さまざまな書籍に載っている熊楠ファンには有名な場所。
車を止めてから歩いて10分ほどでその場所に到達しました。写真では大きな杉の木が立っていて、その脇に足を踏ん張る翁の姿が映されています。
ですが、既にその大木はなく、切り株だけが残っていました。ここかなぁと言う場所で、私たちも写真を撮りました。
なお、私は翁にあやかり、上半身を裸体になって撮影。即座に石際さんがモノクロに加工してくださったので、たぶん、やがて来る私の遺影に使うか、次回のkintone Café 和歌山のスライドに使います。
そんなぎりぎりのタイミングのタイミングで訪れた天神崎がまた見事でした。今回の和歌山の旅の締めにふさわしい完璧な夕日と、それを映し出すな平かな海岸。
地元の写真、愛好家の方に写真を撮ってもらい、ポーズまで指示していただき、4名で見事な夕日に酔いしれました。そして無事に田辺駅に送ってもらったのが、列車が出る15分前。
もう一つ書いてなかった旅としては近所を巡ったものです。
王禅寺に行ってきました。ここは禅師丸柿が有名で、西の高野、東の王禅寺と称された古刹です。
実際行ってみて、佇まいに感銘を受けました。ここはもう一度機会があれば来てみたいし、家からもほど近いので再訪できそうです。
今月はこんな感じでした。 来月もまた旅ができるようにがんばります。
今月、足跡を残した地は以下の通り。
東京都
町田市、新宿区、府中市、立川市、八王子市、千代田区、江東区、稲城市、北区、荒川区、港区、品川区
神奈川県
横浜市旭区、大和市、川崎市麻生区、横浜市都筑区、横浜市青葉区、横浜市神奈川区、相模原市緑区、相模原市中央区、藤沢市、茅ヶ崎市、海老名市、寒川町、横浜市港北区、川崎市多摩区、川崎市中原区
山梨県
甲府市、山梨市、甲州市、北杜市、昭和町、甲斐市、上野原市、大月市、富士吉田市
長野県
塩尻市、筑北村、千曲市、長野市、南牧村
大阪府
大阪市東淀川区、大阪市北区
和歌山県
御坊市、美浜町、田辺市、白浜町、上富田町
兵庫県
西宮市
§ 今月のその他活動
人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。 今、心身が動くうちに仕事もプライベートも充実させる。その考えには揺るぎがありません。
・公園は九か所。「国営昭和記念公園(5/3)」「姨捨公園(5/4)」「川中島古戦場史跡公園(5/4)」「矢出川公園(5/5)」「芸術の森公園(5/6)」「王禅寺ふるさと公園(5/17)」「新庄干潟公園(5/25)」「番所山公園(5/25)」「西大井緑地公園(5/30)」
・美術館はゼロカ所。
・駅は十二駅。「姨捨駅(5/4)」「柳原駅(5/4)」「西条駅(5/4)」「塩山駅(5/5)」「香川駅(5/22)」「御坊駅(5/23)」「御坊駅(5/23)」「学門駅(5/23)」「紀伊御坊駅(5/23)」「市役所前駅(5/23)」「西御坊駅(5/23)」「南橋本駅(5/29)」
・滝はゼロカ所。
・温泉はゼロか所。
・山は一山。「妻女山(5/4)」
・酒蔵はゼロか所。
・神社は八カ所。「川中島古戦場 八幡社(5/4)」「竹山随護稲荷神社(5/4)」「象山神社(5/4)」「福地八幡宮(5/15)」「小竹八幡神社(5/23)」「鬪鶏神社(5/24)」「熊野本宮大社(5/25)」「蛇窪神社(上神明天祖神社)(5/30)」
・寺は六寺。「長楽寺(5/4)」「松操山 典厩寺(5/4)」「黄檗宗 象山 恵明禅寺(5/4)」「福源寺(5/15)」「王禅寺(5/17)」「極楽寺(5/27)」
・教会はゼロカ所。
・史跡は十四カ所。「川中島古戦場史跡公園(5/4)」「妻女山展望台(5/4)」「山寺常山邸(5/4)」「松代象山地下壕(5/4)」「佐久間象山先生像(5/4)」「佐久間象山宅跡(5/4)」「松代駅跡(5/4)」「王禅寺のカキの原木 (禅寺丸柿)(5/17)」「湛増弁慶の像(5/24)」「田辺城水門(5/24)」「植芝盛平像(5/24)」「熊野本宮大社旧社地 大斎原(5/25)」「福定の大銀杏(5/25)」「伊藤博文公墓所(5/30)」
・博物館は七か所。「長野市立博物館(5/4)」「川中島典厩寺記念館(5/4)」「国立天文台 野辺山宇宙電波観測所(5/5)」「山梨県立文学館(5/6)」「南方熊楠顕彰館(5/24)」「植芝盛平記念館(5/24)」「南方熊楠記念館(5/25)」
・遺跡はゼロカ所。
・城は一城。「田辺城跡 (錦水公園)(5/24)」
・灯台はゼロカ所。
・動物園はゼロか所。
・水族館はゼロか所。
・土木遺産ゼロか所。
・マンホールカードは二枚。「長野県長野市(5/4)」「和歌山県御坊市(5/23)」
・名水ゼロか所。
・果物狩りはゼロカ所。
・浜はゼロか所。
・ダムはゼロカ所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。
・御宿印はゼロ枚。
なお、昨年の夏ごろから信長の野望 出陣でアカウントを作り、様々な場所を巡っています。市区町村ごとに完全に訪れると制覇ができます。
遠征という機能を使って制覇したのではなく、実際に訪れた場所で制覇した市町村について、ここに記しておきます。
・長野県北安曇郡白馬村 2023/11/12
・長野県北安曇郡小谷村 2023/11/12
・山梨県南都留郡山中湖村 2023/12/16
・神奈川県足柄下郡真鶴町 2024/1/25
・福島県双葉郡富岡町 2024/5/5
・福島県双葉郡広野町 2024/5/5
・東京都狛江市 2024/5/6
・神奈川県愛甲郡清川村 2024/5/12
・東京都稲城市 2024/5/25
・山梨県南都留郡忍野村 2024/7/6
・長野県南佐久郡川上村 2024/7/7
・長野県南佐久郡南牧村 2024/7/7
・山梨県南都留郡道志村 2024/7/7
・東京都千代田区 2025/1/1
・京都府大山崎町 2025/1/29
・東京都町田市 2025/2/2
・山梨県南都留郡西桂町 2025/4/16
・長野県東筑摩郡麻績村 2025/5/4
・神奈川県川崎市麻生区 2025/5/17
私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
今月も仕事にからめてですが、少しずつ、訪問した場所が増やせました。この地球にはまだまだ無限に行くべき場所があります。
少しでも未訪の場所を訪れてから死にたい。マーキングして死にたい。私の人生の残り時間のなかでどこまでの旅ができるか。
加齢によって日々、気力は減退していきます。人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選びます。私も不意の体調不良に襲われ、コロナに感染します。今月もインフルエンザで味覚異常に苦しみました。数年前の秋にはハイキングのつもりが一晩の遭難と化し、人里のすぐそばで死ぬ可能性も体験しました。
いつかやろう、引退してからやろうという姿勢を根本的に見直さねばなりません。もう、未来の社会や環境がどうなっているかわからないからです。そこに老いつつある自らの衰えがかぶさってきます。
生きている今。今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。
その姿勢のまま、仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。
死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えます。
それが分かっていても、自分に与えられた生を全力で全うしたいと思います。仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。そのためにもこうして書き残しておこうと思います。
今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されません。一方で、仕事の難しさや面白さも強く感じています。プライベートだけど充実させるのでもなく、仕事だけに人生を捧げるでもなく、その両立を目指す。だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもらず、一人でも旅を敢行したいと思います。
もちろん、数年前の秋に遭難した経験は忘れてはなりません。命をなくしては元も子もないのは当たり前。ですが、何もせず命を枯らすよりはましです。
家族との縁も毎月、姿を変えています。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。
そう思い、訪れた場所で心の赴くままに俳句を詠んでいます。今月は俳句を16句。いずれもポストまとめに載せています。
一方で、具体的に将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げはなんとか確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていません。不労所得のタネも持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。
あらためて「私」を振り返ってみました。来月も自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。
頼りない経営者であり父であり夫であるにもかかわらず、家族が常に一緒に行動してくれることに感謝します。
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