2024年12月のまとめ(個人)

まとめ

公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括
12月。

今月は、1年の疲れが出たのか、12月の中旬になって、インフルエンザに罹患してしまいました。

これもまた、貴重な休みの賜り物だと捉え、仕事を続けながらも、10日以上ペースを落として過ごしました。

また、体調不良にともなって、飲み会も5回ほど断念しました。

ただ、ハワイに行った余韻がまだ残っています。今月の前半にも20年ぶりの盛岡への旅ができました。別の日には真鶴で生まれてはじめてのグランピング体験もできました。それらもあって、むしろ休めた分、私としては満足いく月だったように思います。

今月の頭には、個人のウェブサイトを立ち上げました。これによって、従来は会社のウェブサイトに私の個人的な活動も載っていましたが、切り分けました。会社と個人を分けたことで、個人としてのびのびと活動できる目処がついたことも今月のトピックです。

体が動くうちに、どこまで旅ができるか、新しい体験ができるか。新しい光景が見られるか。
気力のあるうちに、新しい自分の道を切り開きたいと思います。

旅は仕事とセットです。仕事をしながら、旅をする。そのノウハウをいかに実現するかが私の人生のテーマです。まだ私の理想にはほど遠い毎日ですが、旅の積み重ねが自分にとって糧となるはずです。
今月も仕事に追われる状況には変わりがありません。ただ、共遊開発の割合を増やすことによって、少しずつ仕事に終われる時間を減らしています。

年齢による疲れを感じています。もう、昔みたいに自在に動き回れず、やるべき仕事は山積みになっていて、私の自由はますます狭められています。今月のような病に襲われると、ますますそのことを思い知ります。
昨年でついに50歳を迎え、人生が少しずつ下り坂になっているとひしひしと感じています。
私に与えられた時間は有限です。ますます残り少なくなっています。
残された時間を少しでも有意義にしなければ。

これからも台風や地震などの天災が私たちの時間を奪っていくでしょう。
もう誰と比較するとかではなく、自分自身の残り時間との戦いです。人がどう思うかではなく、自分自身が納得できるように生きるにはどうすればいいか?

生きていることのありがたみを忘れず、充実した日々を送りたい。
皆さんと私の思いは同じです。
加齢に抗うようにして、今月も動き回っていました。

娘たちもそれぞれの道を迷いながら歩んでいます。
私も娘たちをフォローしながら、これからの人生を有意義なものに過ごしてほしいと思っています。
残りの限られた人生の中で家族との時間を大切にしながら、自分に与えられた可能性と時間を精一杯使い切りたいと思います。

今月は家族とはゼロ回お出かけしました。妻とは二回、妻と長女とは四回、妻と次女とはゼロ回、長女とはゼロ回、次女とはゼロ回。

§  月表

・十二月お出かけ
麺屋黒船 狛江店、和泉多摩川河川敷、EXCELSIOR CAFFé、炭遊酒菜 旅籠、BOOKOFF 新宿駅西口店、マルダイラーメン、東京ミッドタウン八重洲、シティホール&ギャラリー 五反田、Far Yeast Tokyo Brewery & Grill、高幡不動尊、四八天丼、セブンイレブン永山駅店、サンドラッグ 町田野津田店、東北新幹線 盛岡駅、いわて・盛岡広域観光センター、小吃店、クロステラス盛岡、パルクアベニュー カワトク、米内光政居住地跡、盛岡八幡宮、米内光政像、盛岡市役所、もりおか歴史文化館、盛岡城跡公園 (岩手公園)、サンビル (岩手県産業会館)、ご馳走DEがんす、セブンイレブン 盛岡大通3丁目店、ビアベースベアレン 盛岡駅前店、ホテルエース盛岡、福田パン 長田町本店、夕顔瀬橋、盛岡市先人記念館、マルイチ 本宮店、仙北町駅、円光寺、米内光政墓所、大慈寺、原敬墓所、青龍水、盛岡バスセンター、Toshiko Akiyoshi Jazz Museum、もりおか歴史文化館、ホテルエース盛岡、大同苑 盛岡菜園店、Prost!、さわや書店 フェザン店、セブンイレブン 町田大蔵店、しゃぶ葉、らあめん花月嵐、セブンイレブン 大和駅西店、くら寿司、サンドラッグ 町田野津田店讃岐うどん かいと、セブンイレブン 京王東府中駅店、高久ぱん 藤沢駅店、真鶴駅、couscous グランピング、真鶴駅、品川イーストワンタワー、セブンイレブン、ファミリーマート ポートストア大井南部店、大田区観光情報センター、Tully’s Coffee、セブンイレブン 町田鶴川駅前店、鶴川駅前図書館、ABC-MARTスシローミスタードーナツ、沖縄の台所 ぱいかじ、Starbucks調布PARCO店、Sizzler、松のや、啓文堂書店、ファミリーマート 川崎麻生片平店、カレーとデミ カサネヤ、ファミリーマート 田無町三丁目店、モスバーガー、松屋 二俣川店、菜香園、くら寿司、釈迦堂PA (下り)甲府市歴史公園駐車場やまなし里山キッチン甲州夢小路caf? terroir甲州ワイン蔵いちやまマート 塩部店ニトリ 甲府店かつ玄 石和店

・十二月ツイート
https://togetter.com/li/2487422

§  家族とのお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かける機会は、今月はゼロ回ありました。

今月は後半に私がインフルエンザに罹ってしまったため、家族で会うことはありませんでした。
実は24日に次女が来てくれたのですが、私が仕事に出ていたので会えずじまいでした。また、夜の会食は私も長女もインフルエンザに罹っていたため、とりやめました。

先月に家族で訪れたばかりのキラウエア火山が噴火したそうで、クリスマスには旺盛な噴火が活動が見られたそうです。
まだハワイ旅行の余韻は消えていません。思い出深い旅でした。


§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で二回でかけました。


二回ともに近所の買い物でした。そのうち一度は近所の行きつけのうどん屋さん「讃岐うどん かいと」で夕食を食べました(12/11)。


§  妻と長女とのお出かけ  妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で出かける機会は四回ありました。


しゃぶしゃぶを食べたいという意見があり、三人で「しゃぶ葉 町田木曽店」へ(12/9)。思う存分、牛や羊肉をいただきました。

そして、妻が私の公私の靴を買いたいと熱望するので、「ABC MART ぐりーんうぉーく多摩店」へ。その後、「スシロー ぐりーんうぉーく多摩店」へ。さらに食後は「ミスタードーナツ ぐりーんうぉーく多摩 ショップ」へ(12/16)。

さらにその翌日は府中の「Sizzler」へ(12/17)。
この日はもともと、お客様のご家族と弊社メンバーの家族も含めての忘年会の予定でした。しかし、お客様のご家族と弊社メンバーが体調不良で、わが家の三人だけになりました。実はこの時、私も体調が悪化し始めていました。そして、この翌日から私の体調は本格的に悪くなりました。


最後は、年末の長女の誕生日に甲府へ(12/28)。
まだ私の体調が完全には治り切っていなかったこの日。
私自身、甲府市には9/11以来行けてなかったことと、妻が借りた甲府の拠点をまだ見ていなかったため、無理を押して甲府に同行しました。
でも、行った甲斐があり、甲府駅から徒歩数分の拠点は広く素晴らしいと思いました。
その前にも「やまなし里山キッチン」を訪れて稲生さんに誕生日プレゼントを渡しに。さらに再開目指して奮闘中の「café terroir」と「甲州ワイン蔵」に立ち寄り、さらに近くの「いちやまマート 塩部店」で買い物をし、「ニトリ 甲府店」で机を買い、最後は「かつ玄 石和店」でかつを頂きました。




§  妻と次女とのお出かけ  妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女との三人で出かける機会はゼロ回ありました。

次女が24日に来た際も、順調な様子を伝えてくれたそうです。
次女は大丈夫そうです。今年から正社員となって働いています。仕事は楽しいようです。
とても楽しく、人生と若さを謳歌しているようなので、親として安心しています。
若いエネルギーを持て余し、夜遊びもしているようですが、家族のイベントには次女も参加してくれるのがありがたいです。

§  娘たちとのお出かけ  娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。

長女は昨年の4/1付けで雇用しました。
今年の春から、とあるお客様の事務担当として週一度訪問し、社会の風にあたってもらっています。
最近は一人でいろんなイベントに顔を出してくれていますし、仕事で人の役に立てている手応えも感じているのでしょうか。
私と二人で参加したスナックジョイゾーでは、私がいなくても様々な方とお話をしています。kintone若手交流会やkintone Café Tokyoのスタッフとしても活動し始めています。
今月は仕事の能率が上がらないとの悩みを聞きました。会社のバックオフィス全般をお願いしているため、私からの指示がひっきりなしに飛んでくるため、きついと思っているようです。が、毎日の通勤に比べたら勤務環境は断然楽なはずです。今を乗り切ってほしいと思います。

昨年末をもって私の中では子育ては終わったと思っています。娘たちにはそれぞれを一人の大人として対し、手助けができるところは私から手を差し伸べていこうと思います。
私にできることは親の頑張る姿をみせることぐらいかな。


●私自身の十二月(交友関係)

§  関西の交流関係
今月もまた、関西には帰れませんでした。
が、来月はkintoneのイベントもあって関西に帰ります。長女も連れて行こうかと考えています。

§  今月の交流
今月は、仕事に絡んだイベントではあるものの、大勢の方と交流を深めました。

私の場合、公私混同の毎日です。私的な付き合いなのか、仕事をからめた付き合いなのか、区別はしないし、また、できません。
皆さんとの交流は本当に楽しかったです。










今月も皆様ありがとうございました。

●私自身の十二月(コミュニティ活動)
§今月の登壇一覧 
今月から、従来は法人側のまとめで書いていたコミュニティ活動やエバジェリスト活動はこちら側に記します。

・ 「トヨクモkintone収穫祭アフターイベント」に登壇しました(12/5)。




・ 「kintone Café 岩手 Vol.1」に参加・登壇しました(12/7)。




・ 「Stripe 初のハンズオンワークショップ〜90分で3Dセキュアの仕組みを理解し実装できるようになる!〜」に参加しました(12/17)。
・ 「Qiita kintone Advent Calendar 2024」に投稿しました(ページ)(12/23)。
・ 「トヨクモkintone収穫祭アフターイベント」の登壇内容をトヨクモ社に記事にしていただきました(ページ)(12/25)。


●私自身の十二月(文化活動)

§  今月のブログ
読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、書いていません。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、今は書くための時間がありません。先月に書いた3冊は2020年の年末のものですから、もう四年近くの間、レビューが書けていません。
今、私のプライベートの時間がほぼなくなってしまっています。仕事をからめた交流があるので精神的には困っていませんが、一人の時間がないことは見直さなければと考えています。
レビューをアップする冊数と本を読んだ冊数は、私にとってワークライフバランスのバロメーターです。ワークに偏っている今の状況を早く取り戻さねば、とかなりの危機感を持っています。

以前に連載していたCarry Meさんが運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」の続きを弊社サイトにアップする作業ですが、今月はアップできませんでした。これも長い間アップできていないので、なんとかして時間を作らないと。

今月、書いた本のレビューは0本()。
今月、書いた観劇のレビューは0本()。
今月、書いた映画のレビューは0本()。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は0本() 。

先月までは
なお、一昨年のはじめから毎営業日にnoteに書き始めた記事ですが、今月は以下の内容をアップしました。

11月28日 11月28日 ハワイで学んだこと⑤
11月29日 11月29日 ハワイで学んだこと⑥
12月2日 12月2日 会社のウェブサイトから個人コンテンツを除きました
12月3日 12月3日 今月より体制構築をさらに進めます
12月4日 12月4日 意思統一の難しさ
12月5日 12月5日 話すスキルは練習しましょう。
12月6日 12月6日 kintoneの周辺サービスの知識も増やさなければ
12月9日 12月9日 地方でのコミュニティ立ち上げは誰かがやらねば
12月10日 12月10日 米内光政氏を偲んで
12月11日 12月11日 教育者として活動する方途を考えたい
12月12日 12月12日 肩書などない方が良い。少なくとも死後は。
12月13日 12月13日 DXという言葉はしばらく使うのを控えます。
12月16日 12月16日 kintoneに創造力発揮の場は残って欲しい。
12月17日 12月17日 mixi2がやって来た
12月18日 12月18日 休める余裕があり、規則の緩い会社を目指したい。
12月19日 12月19日 あるべきパフォーマンスの基準が難しい
12月20日 12月20日 弱気になっても安定思考に堕ちないために
12月23日 12月23日 収入が減るのが嫌なら、支出を減らすしかない
12月24日 12月24日 有事のためにさまざまな組織に属しておく
12月25日 12月25日 案件をこなせる体制にします。

§  今月の読書
今月は7冊の本を読みました。内訳は、科学啓蒙書一冊「ANALOGIA」。ミステリ一冊「透明人間は密室に潜む」。技術書一冊「病院DX」。ビジネス書一冊「最強のエンジニアになるための話し方の教科書」。ルポルタージュ一冊「HOW MUSIC GOT FREE」。伝記二冊「安部公房伝」「真実の原敬」。

私が一昨年の年始に掲げた目標の一つは本を出版することですが、まったくそれが進んでいません。
仕事にかまけてしまっています。このことにもとても強い危機感を抱いています。このまま何も生み出さずに老いてしまうのでは、と。

今月末になって読んだ「安部公房伝」は文学に対して私の意識を取り戻させてくれました。
この分野に対しては今でも強い関心が続いています。

下に書いていますが、綾辻行人さんの十角館の殺人の映像化ドラマ版をみました。
かつて原作を読んだことは覚えていますが、また館シリーズも読み直したいなあと思いました。

§  今月の映画
今月の映画鑑賞はゼロ本です。

映画を見るどころか、テレビすらほとんど見ていません。
年末年始にストリーミングでよいので何か見たいです。まだ見ぬ見るべき映画が多すぎます。
なお、年末の30日の夜からHuluの十角館の殺人が全5話で見てしまいました。かつて原作は読みましたが、だいぶ忘れてしまっていました。
面白かった。

§  今月の舞台
 舞台については、今月は一本も観ていません。



§  今月の音楽
コロナが始まってから’70’sから活躍したアーチストの全曲を聞く活動を続けています。サンタナの全アルバムを順に聴いています。


今月は特筆すべきは盛岡で偶然見つけて入った「Toshiko Akiyoshi Jazz Museum」です(12/8)。
秋吉敏子さんといえば日本が誇るJAZZの偉人ですが、生い立ちが盛岡にご縁があったわけではなく、応援する盛岡のJazz Barの方が設けたミュージアムだそうです。ところが、ここには貴重な音源や言葉、本や賞状の数々が惜しげもなく並べられていました。
まさに圧巻でした。
ここはまた来たいと思いました。

§  今月の美術
今月は美術については特筆すべき点はありません。

盛岡では「盛岡市先人記念館」と「もりおか歴史文化館」を訪問しました。銅像やその他の書画なども拝見しました。肖像画も閲覧しました。が、美学が刺激された経験はありませんでした。
米内氏の書がいくつか掲げられており、それらには感銘を受けました。

§  今月のスポーツ
今月は、スポーツはしていません。
トピックスとしては、町田ゼルビアが最終節で惜しくも敗れ、シーズンを三位で終わった事が挙げられます。
J1デビュー初年度にもかかわらず、この成績はお見事です。やっかみも含めた毀誉褒貶に苦しんだと思いますが、JFLの頃からゼルビアの試合を観戦していた私にとってみれば、感慨も深いです。

そういえばインフルエンザに罹って家に籠っていたある日、1974年の西ドイツワールドカップ決勝の試合がBSで放映されていました。つい、見入ってしまいました。リマスターによる鮮明な画像が新鮮で、フライング・ダッチマンと皇帝がフィールド上で駆け回る姿が印象に残りました。

私自身、最近体力がとみに落ちていることを感じています。
寝不足その他の原因でしょうか。仕事が忙しい中、どうやって体力を維持するか。
そろそろ体力作りに取り掛からないと、老年になってとんでもないことになりそうな気がしてきました。危機感を覚えています。


§  今月の滝
今月は滝を訪れる機会がありませんでした。

旅自体が盛岡と甲府と真鶴しか訪れられていません。
来年は滝めぐりの頻度をどのように増やすか考えたいと思います。


§  今月の駅鉄
今月は駅を一駅訪れました。「仙北町駅(12/8)」
盛岡市先人資料館を訪れた後、明治橋をわたって米内光政氏の眠る円光寺に向かう途中にあったこの駅に立ち寄りました。


盛岡駅の隣にありながら、閑散とした感じの駅です。
近々、新たな東西自由通路が完成するとか。盛岡市をじっくりと訪れた二日間の後だったので、盛岡の市街が周辺に広がって栄える象徴にこの駅がなってほしいと思いました。


なお、この地の名前は秋田県の仙北地区からの移住者が多かったためにつけられたそうです。
また、盛岡発の偉人として名高い原敬氏は鉄道網の整備にも辣腕を振るった政治家です。唯一原敬氏が地元のために設置した駅がこの仙北町駅だそうです。

盛岡市先人記念館から仙北町駅に向かう道から少し折れると原敬記念館があったのですが、この時は立ち寄りませんでした。
ただ、仙北町駅に寄った後、米内光政氏の眠る円光寺のお墓に詣でた後、その近くの原敬氏の墓がある大慈寺を詣でました。
お墓に詣でたことで、原敬氏にあらためて興味を持った私は、東京に帰る直前、盛岡駅の本屋さんで原敬氏の伝記を買いました。年末に読んだその本の中に、仙北町駅が原敬氏が影響力を発揮して設置した駅であることが書かれていました。
ただ、駅舎にはそれをうかがわせる情報は何もなく、訪れた時には気づきませんでした。

次回、盛岡を訪問した際は原敬記念館を訪問したいと思います。その際には仙北町駅にも立ち寄ろうと思います。

なお、先々月末に購入したiPhoneにエキタグを入れました。今までの端末はNFC非対応だったので、エキタグができませんでしたが、9月から使ってみています。今月は9駅を訪れています。
「京浜東北線・東海道線・横須賀線・総武線快速・根岸線・湘南新宿ライン横浜駅(12/4)」「山手線五反田駅(12/5)」「多摩モノレール多摩センター駅(12/6)」「多摩モノレール高幡不動駅(12/6)」「田沢湖線・東北本線・秋田新幹線・東北新幹線・山田線盛岡駅(12/7)」「いわて銀河鉄道盛岡駅(12/8)」「京浜東北線蒲田駅(12/14)」「南武線武蔵溝ノ口駅(12/14)」「中央線快速国分寺駅(12/23)」


§  今月の酒楽
今月は飲む機会が月後半のインフルエンザ罹患によって半減しました。それでも延べ六日、七軒で飲んでました。


まずはお客様との懇親会で訪れた新宿の「炭遊酒菜 旅籠」(12/2)。落ち着いた内装でおいしい料理がいただけました。
日本酒に見るべきお酒が多数あり、私もおいしくいただきました。

続いてはPOTLUCK × ちいクラ「東京ミッドタウン八重洲」で行われた懇親会です(12/4)。
軽めですが、お酒もいただきました。ここでは様々な方とお話しができました。


続いては、トヨクモ社の「トヨクモkintone収穫祭アフターイベント」の懇親会の二次会で訪れた「Far Yeast Tokyo Brewery & Grill」です(12/5)。
トヨクモさん達との懇親会の後、四人で二次会に向かいました。五反田駅まで歩いた後、私の提案でこのお店に戻りました。いうまでもなく、FAR YEAST BREWINGさんの直営店です。ビールの味は保証できます。皆さんも美味しいビールを堪能くださったようです。このお店では、私が来年のDEOCOエバンジェリストのデビューを決意しました。そんな思い出の飲み会です。


盛岡では「kintone Café 岩手 Vol.1」で盛り上がりました。その懇親会で訪れたのが「ご馳走DEがんす」です(12/7)。盛岡の郷土料理をいただきつつ、会話に花を咲かせた夜でした。


その後、二次会に三人で訪れたのが「ビアベースベアレン 盛岡駅前店」(12/7)。ベアレンといえば岩手県の著名な地ビール醸造所です。朝に盛岡駅に降り立ってすぐ、駅前のタップルームを見つけ、夜に行ければ行こうと思っていました。三人でおいしいビールやシードルを飲みつつ、美味しい料理を頂きました。ちなみにお隣にはべアレンが経営するラーメン屋がありました。ここも行きたかった。


今月の最後を締めたのは「couscous グランピング」です(12/13)。
真鶴とのご縁も二年弱が経とうとしています。皆さんとこうやって仲良く飲めるのが素晴らしい。私にとっては、グランピング初体験の一夜でした。さらに、ギボンズの藤村さんのタコスをようやくきちんと食べられたのも大いなる思い出です。ワインや泡盛などボトルが空き、私も途中で眠りかけてしまいました。美味しく楽しい一夜でした。

土曜日に真鶴で楽しんだ後、翌朝に品川に向かった私。商談をこなしたのですが、その辺りから舌に口内炎を自覚しました。
舌の違和感にもどかしい思いをしている間に、その翌日の月曜日の夕方から少し風邪の症状が出始めました。その翌日の火曜日、府中のシズラーでお客様のご家族と弊社メンバーのご家族とを交えて忘年会の予定でしたが、皆さんが具合が悪くなり、うちの家族だけに。私もその時点で風邪を自覚していました。さらにその翌日のお客様訪問によって体調悪化は決定的になり、しばらくパフォーマンスが落ちる日々が続きました。

というわけで、その後にお誘いいただいていた約5回の飲み会は全てパスしました。郡山のエフライフさんからもお呼びいただいていたりしたのですが。

なお、ハワイで買ってきたKULEANAをいただきました。私が初めてボトルで購入したアグリコール・ラム。美味しいです。


§  今月の旅行
今月は、4都道府県を訪れました。
仕事ではさまざまな場所を訪れました。いつもの通りです。

今月はインフルエンザ罹患もあり、いつにも増して旅とそうでない時間のメリハリが激しい月でした。

旅も、盛岡の一泊二日の旅と真鶴の一泊二日のグランピングが含まれていたため、とても印象に残っています。

12/7-8にかけて訪問した盛岡は、22、3年ぶりの訪問です。長女がまだ2歳ごろ、家族で訪れて以来です。
その旅行の際は、一関近くの猊鼻渓の宿と小岩井農場近くの宿に泊まりました。なので、盛岡は帰りの新幹線に乗る間際、わんこそばを食べたことしか記憶にありません。盛岡の街を見たとは言えず、わんこそばのためだけに立ち寄った程度です。
その時、すでに私は米内光政氏のことは知っていましたし、米内氏について書かれた本も持っていました。それにもかかわらず、最初の盛岡訪問では米内氏に関する史跡を訪れることはできませんでした。

今回、kintone Café 岩手の立ち上げにあたり、お手伝いをして欲しいとお声をかけていただいたことで、盛岡への再訪の途がひらけました。


私は今回、kintone Caféを除けば、何よりも米内光政氏の史跡を巡ることを第一優先にしました。
盛岡駅につき、観光案内所で街の概要を伺った後は、「小吃店」でジャージャー麺に舌鼓をうち、ホテルエースに荷物を預けました。
近くのHello Cyclingで自転車を確保した私は、盛岡城址の石垣を装う雪化粧を愛でつつ、米内光政氏の居宅址へ向かいました。さらに、その傍に鎮座する盛岡八幡宮に参拝し、境内にある米内光政氏の像を仰ぎました。そして自転車を返してkintone Café 岩手の会場である岩手県産業会館へ。この間、駅についてから1時間半ほど。手早く盛岡市内をめぐりました。






kintone Caféと夜の懇親会を楽しんだ翌朝、盛岡はあいにくの雪でした。
私はホテルを出て、前夜の懇親会で教わった福田パンの長田町本店へ。そこにはすでに多くの人が並んでいました。
私は前の晩に勧めていただいたものの、パン屋さんという事しか知らずに伺いました。ここ、全国で見かけるコッペパンブームの火付け役となったお店です。私が訪れた時も、店頭には数えきれない種類のコッペパンがあり、注文を受けてお店のスタッフが手際よくパンに材料の具を塗り付けています。
私は前日食べたジャージャー麺がおいしかったのでサラダにジャージャー麺のたれを加えたものと、キャラメルクリームとカスタードクリームを加えたものを注文しました。
これがとてもおいしかった。そして思った以上に量がありました。一つじゃ足りないと思っていたら、おなかがいっぱいに膨れて膨れて。


そこから盛岡駅の反対側へ向かいました。レンタサイクルも検討したのですが、朝の時点で雪が積もり始めていて、これは危ないと思い、徒歩で向かいました。
北上川を渡る時は雪が横に降りしきり、北国の冬の厳しさを感じました。ようやく東京は秋を通り越し、冬の気配が忍び寄ってきていましたが、盛岡はもう冬景色。


先人記念館に着いたとき、寒さにかじかんでいました。
でも、ようやく来られた盛岡市先人記念館に気持ちははやります。
こちらは盛岡市にゆかりのある近世以降の偉人たちを顕彰する施設です。
私の目当てはもちろん米内光政氏。金田一京助氏と新渡戸稲造氏と米内氏の三人だけは別に記念室が設けられ、扱いが違います。


まずはロビーで。先に入られていた年配のご夫婦がロビーでビデオを見ていたので、私も椅子に座って新渡戸稲造氏の生涯を学びました。そしてそのご夫婦が次に選んだビデオは米内光政氏。良く選んでくれたと内心で感謝しながら私も共に学びました。米内氏の紹介ビデオについては知っていることも多かったのですが、肉声を初めて耳にしたり、若かりし頃のお姿も観られたり、収穫がありました。
そして新渡戸稲造氏のビデオでは氏についてあまり知らなかった自らの不明を知りました。

記念室では順路に沿って金田一京助氏から見学しました。金田一氏の名前はアイヌ語の研究や辞書の監修で存じていましたが、よく考えるとWikipediaの金田一氏の項目すら読んだことがありませんでした。
ただ、金田一氏の教職者としての姿、若き日の石川啄木との友情や、貧乏に耐えながら学究生活を選んだその生涯には学ぶところが多かったです。
かつて、北海道の平取町の萱野茂二部谷アイヌ資料館を訪問し、アイヌ語に関心を持った時期がありました。また、私の母方の祖父がエスぺランティストとして世界中の方と文通をしていたことなどが思い起こされました。今世において私は学究生活を選びませんでしたが、果たしてそれでよかったのか、考えさせられました。


私の中で教育というキーワードが芽生えました。それは、続いて訪問した新渡戸稲造氏の記念室でより強まりました。
「武士道」を著し、国際連盟の事務次官や5千円札の肖像に選ばれた新渡戸氏のことを、私は教育者としてはあまり意識していませんでした。ですが、実は新渡戸氏の生涯とは教育者としての献身にその多くが割かれていたのですね。
新渡戸氏が5千円札の肖像に選ばれた理由やその偉大さを、この記念室に来るまでの私は漠然としか知っていませんでした。が、風雲急を告げる日米関係を何とか良くしようと努力したが、努力もむなしく異国で客死したこと。新渡戸氏の教育者としての献身が現代にはあまり伝わっていないことも理解しました。


米内氏もまた、教育という共通の属性で私を印象付けました。
米内氏は日米開戦の直前の困難な時期に首相に推挙されました。そして、日独伊三国同盟を阻止しようとしました。残念なことに陸軍の妨害で内閣総辞職を余儀なくされました。
海軍で長年奉職し、地味ながらも大器晩成型で読書によって人格を練り上げた米内氏は、山本五十六海軍元帥や井上成美海軍大将と共に英米との対決に舵を切ろうとする陸軍や世論に抗い、海軍の意見を必死にまとめようとしましたが、時流には逆らえませんでした。
若い頃の私は、三人の中では、カミソリのようなといわれた井上成美海軍大将を尊敬し、井上氏が終戦後に送った余生の清貧さも含めて模範としていました。ただ、年齢を重ねるにつれ、米内氏のような大きな器の持主になりたい思いが増してきました。
米内氏もそうですが、山本元帥や井上大将はいずれも部下に対する教育の面でも特筆べき実績があります。
金田一氏から新渡戸氏と展示を拝見するごとに増してきた教育の二文字が私の中で大きなテーマとなって迫ってきました。

私の二人の祖父はともに大学で教えていました。父方の祖父は教育学を専攻する教育学者でした。
その血脈が私の中で自覚されるとともに、教育こそが次に私の向かうべき道ではないかと思いました。
思えば前日、kintone Caféの中でも皆さんに対してkintoneを語りました。その経験も人に何かを伝えたいとする私の資質を自覚させます。
教育こそが私にとって天職ではなかろうか、という気づきが五十を超えた私に舞い降りました。


先人記念館では特別展として在米ジャーナリストとして日米の懸け橋になった浅野七之助氏の生涯も取り上げられていました。
浅野氏の生涯にも感銘を受けましたが、今の私には新渡戸氏や浅野氏のように日米や異文化を繋ぐ架け橋にはなれそうにありません。
でも、教育者としてなら、まだ間に合うのではないかと思ったのです。
ふと、特別展の会場の窓ガラスが光っています。いつの間にか、はるか向こうの岩手山が見えそうになるまで、外は晴れ渡っていることに気づきました。私の心のように。



先人記念館を出ると空は晴れ渡っています。私は米内氏のお墓がある円光寺に徒歩で向かいました。その道中も、教育について考えを巡らせていました。
そのため、寄ろうと思えば立ち寄れた原敬記念館には立ち寄れずじまいでした。
ところが、原敬氏とのご縁が私に繋がりました。
仙北町駅に立ち寄った後、明治橋を渡り、円光寺の米内氏の墓に詣でた私。ふと見ると、大慈寺の原敬氏のお墓もすぐ近くです。そこで立ち寄りました。そしてそのお墓の開設板を読んだこと、原敬氏についても興味がわいてきました。

そのあたりの私の心の動きは、
12月10日 米内光政氏を偲んで
12月11日 教育者として活動する方途を考えたい
12月12日 肩書などない方が良い。少なくとも死後は。
に書いています。特に原敬氏のお墓で感じたことは12日のnoteに書いています。肩書を死後に求めない潔い原敬氏の姿勢に惹かれました。

原氏の墓を詣でた後、私は肩書を全て投げ捨てたい衝動にかられました。エバンジェリストも代表社員も終わらせ、一介の自由人として生きられないものか、という葛藤が私の心を焦がしました。
この思いは今もまだ続いています。つい数日前に個人と会社のページを分かちました。会社はもう自分の力なしでも自立できるかもしれないところまで来ました。ここで個人を分離したことで、もう一度個人としての自分の可能性を追求したい。そのためには肩書など不要ではないだろうか、と。



盛岡の町中を歩き、「もりおか歴史文化館」に着きました。ここでは盛岡の歴史や南部藩の治世など、充実の展示が私を楽しませてくれました。また、特別点として蓬莱の歴史がとても興味深かったです。神仙思想や徐福伝説など、中国と日本に遺された蓬莱山の伝説の数々。蓬莱山とは富士山の異名という説がありますが、それがまさか盛岡で詳しく学べるとは。
夢中になって展示を観覧していると、「もりおか歴史文化館」を出た時、すでに辺りは真っ暗でした。

そろそろ帰路につかなければ。
最後にホテルエースでトランクを受け取り、盛岡駅に向かいました。
最後の盛岡での夕食はわんこそばでもジャージャー麺でもなく、盛岡冷麺にしようと決めていました。前夜の懇親会でかわうそさんにプレゼンされた盛岡冷麺の魅力を確かめなければ。かわうそさんにお勧めされた「大同苑 盛岡菜園店」で念願の盛岡冷麺をいただきました。
正直、冷麺はあまり好きな部類の麺料理ではなかったのです。が、確かにここの冷麺はおいしかった。



満足したことで、盛岡駅の本屋さんでは原敬や新渡戸稲造の本を購入しました。原敬さんのことをより知りたいとの思いで盛岡を後にしました。


盛岡ではいろいろと考えさせられました。また今度来ると決めました。




今月を彩るもう一つの旅は真鶴です。12/13-14にかけ、真鶴の皆さんとの忘年会にお誘いされました。
会場は「couscous グランピング」。夏に行った「CASOミーティング@真鶴」でもcouscous グランピングを率いる藤田さんには登壇してもらいました。
今回はCASOのメンバーに加え、真鶴にご縁のある他の方も含めて、グランピングでの忘年会です。
実はこの日、横浜のお客様でも忘年会がありました。さらにスナックジョイゾーからもお誘いを頂いていました。そこで、お客様の忘年会には弊社メンバーに出てもらい、スナックジョイゾーには長女に出てもらいました。私は真鶴を選びました。
上にも書いた通り、TOSON’s Tacosが話に聞いていた以上に美味しく、また、久々にボトルを空けるレベルでお酒を飲みました。本当に楽しい一夜でした。



翌朝は品川経由で大井ふ頭で商談があり、少し早めに移動しましたがが、真鶴はまた来ると思います。充実でした。

もう一つは月末の甲府への旅でした(12/28)。
真鶴に行った翌々日から体調を悪化させた私は、10日以上、仕事をしながらも休み休みの毎日を過ごしていました。甲府に行った日もまだ完全に治り切っていない状態でした。頭痛と咳と味覚異常の三重苦の。そんな中でしたが、妻が9月に借りた甲府の拠点をまだ見ておらず、さらにこの日は長女の誕生日ということもあり、病を押して甲府に向かいました。
「やまなし里山きっちん」「いちやまマート塩部店」「ニトリ甲府店」を巡った後、長女の希望で「かつ玄 石和店」へ。ここは私も四回目でしたが、妻と娘はさらに来ているようです。ある時妻とふらっと入ってからすっかりお気に入りとなっています。

来年は個人の立場でも山梨に関与します。会社としても関与することも決まっています。
年末の最後に甲府に行けてよかったです。


あとは旅と言えるかは微妙ですが、府中のお客様に向かう際、お客様のご都合で一時間ほど開始が遅くなったため、それまでの時間を活かして高幡不動尊に参拝しました(12/6)。
参拝の後は門前の四八天丼を楽しみました。


今月はこんな感じでした。
来月もまた旅ができるようにがんばります。

今月、足跡を残した地は以下の通り。
 東京都
  町田市、狛江市、新宿区、中央区、多摩市、日野市、府中市、港区、大田区、八王子市、調布市、西東京市、国分寺市
 神奈川県
  横浜市旭区、大和市、藤沢市、真鶴町、川崎市麻生区、相模原市南区
 岩手県
  盛岡市
 山梨県
  笛吹市、甲府市

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§  今月のその他活動
人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも充実させる。その考えには揺るぎがありません。

・公園は二か所。「和泉多摩川河川敷(12/1)」「盛岡城跡公園 (岩手公園)(12/7)」

・美術館はゼロカ所。

・駅は一駅。「仙北町駅(12/8)」

・滝はゼロカ所。

・温泉はゼロか所。

・山はゼロ山。

・酒蔵はゼロか所。

・神社は一か所。「盛岡八幡宮(12/8)」

・寺は三寺。「高幡不動尊(12/6)」「円光寺(12/8)」「大慈寺(12/8)」

・教会はゼロカ所。

・史跡は四カ所。「米内光政居住地跡(12/7)」「米内光政像(12/7)」「米内光政墓所(12/8)」「原敬墓所(12/8)」

・博物館は三か所。「盛岡市先人記念館(12/8)」「Toshiko Akiyoshi Jazz Museum(12/8)」「もりおか歴史文化館(12/8)」

・遺跡はゼロカ所。

・城は一城。「盛岡城(12/8)」

・灯台はゼロカ所。

・動物園はゼロか所。

・水族館はゼロか所。

・土木遺産ゼロか所。

・マンホールカードは四枚。「岩手県(12/8)」「岩手県盛岡市(12/8)(12/8)」「東京都大田区(12/14)」

・名水一か所。「青龍水(12/8)」

・果物狩りはゼロカ所。

・浜はゼロか所。

・ダムはゼロカ所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。
・御宿印はゼロ枚。

なお、昨年の夏ごろから信長の野望 出陣でアカウントを作り、様々な場所を巡っています。市区町村ごとに完全に訪れると制覇ができます。
遠征という機能を使って制覇したのではなく、実際に訪れた場所で制覇した市町村について、ここに記しておきます。
・長野県北安曇郡白馬村 2023/11/12
・長野県北安曇郡小谷村 2023/11/12
・山梨県南都留郡山中湖村 2023/12/16
・神奈川県足柄下郡真鶴町 2024/1/25
・福島県双葉郡富岡町 2024/5/5
・福島県双葉郡広野町 2024/5/5
・東京都狛江市 2024/5/6
・神奈川県愛甲郡清川村 2024/5/12
・東京都稲城市 2024/5/25
・山梨県南都留郡忍野村 2024/7/6
・長野県南佐久郡川上村 2024/7/7
・長野県南佐久郡南牧村 2024/7/7
・山梨県南都留郡道志村 2024/7/7

私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
今月も仕事にからめてですが、バラエティ豊かな移動ができました。この地球にはまだまだ無限に行くべき場所があります。
少しでもこうした場所を訪れてから死にたい。私の人生の残り時間のなかでどこまでの旅ができるか。

加齢によって日々、気力は減退していきます。人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選びます。私も不意の体調不良に襲われ、コロナに感染します。今月もインフルエンザで味覚異常に苦しみました。三年前の秋にはハイキングのつもりが一晩の遭難と化し、人里のすぐそばで死ぬ可能性も体験しました。
いつかやろう、引退してからやろうという姿勢を根本的に見直さねばなりません。もう、未来の社会や環境がどうなっているかわからないからです。そこに老いつつある自らの衰えがかぶさってきます。
生きている今。今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。
その姿勢のまま、仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。

死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えます。
それが分かっていても、自分に与えられた生を全力で全うしたいと思います。仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。そのためにもこうして書き残しておこうと思います。

今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されません。一方で、仕事の難しさや面白さも強く感じています。プライベートだけど充実させるのでもなく、仕事だけに人生を捧げるでもなく、その両立を目指す。だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもらず、一人でも旅を敢行したいと思います。
もちろん、三年前の秋に遭難した経験は忘れてはなりません。命をなくしては元も子もないのは当たり前。ですが、何もせず命を枯らすよりはましです。
家族との縁も毎月、姿を変えています。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。

そう思い、訪れた場所で心の赴くままに俳句を詠んでいます。今月は俳句を9句。いずれもツイートまとめに載せています。

一方で、具体的に将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げはなんとか確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていません。不労所得のタネも持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月も自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。
頼りない経営者であり父であり夫であるにもかかわらず、家族が常に一緒に行動してくれることに感謝します。

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