蘭RAN~緒方洪庵 浪華の事件帳~

四天王寺に大坂天満宮、天満橋に高麗橋。役者のほとんどは大阪弁を操り、上方ではおなじみの三度ツッコミも見られる。そんな大坂テイストにあふれた演劇を東京の、それも銀座で観る。なんという幸せだろうか。しかも本作は私にとって初めての松竹新喜劇なのだから喜びもひとしお。

私は喜劇は舞台も映画も好きだ。オオサカンなコテコテのボケツッコミも好きだし、練りに練ったコントも好き。上方だろうと江戸だろうとどちらでもいける口。本作のような大坂を舞台にしたオオサカンなノリ突っ込み満載の作品も大歓迎だ。

もともと本作は妻からの誘いだった。妻がお目当てなのは本作に出演する元星組のトップである北翔海莉さん。しかも北翔さんの役どころはほぼ主役。とくれば、ファンとしては何を優先しても駆けつけるはず。私が妻から誘いを受けたのはみに行くホンの数日前だ。だが、新喜劇であるからには面白いに違いない。うん、ええよ、と二つ返事で返した。

さて、即答したはよいが、私は新喜劇といっても吉本なのか松竹なのかよく聞かぬまま「ええよ」と返事した。そもそも私が見たことのある新喜劇は吉本だけ。それも二十数年前に当時のアルバイト先の皆様と行ったっきり。

だから当日、劇場に着いた時の私は、吉本と松竹、どちらの新喜劇かわきまえぬままだった。演目の内容も全く知らぬまま。私が知っていたのは北翔さんが出ることくらい。だから劇場に着いてはじめて本作の豪華な出演者の顔ぶれを知った。神保悟志さん、久本雅美さん、石倉三郎さん、ユートピア・ピースさん。そして北翔さんと並んで主演を張るのが藤山扇治郎さん。藤山さんは昭和の喜劇王こと藤山寛美さんのお孫さんだ。よくテレビのドラマでお見掛けする神保さんにはシリアスなイメージを勝手にもっていた。だから喜劇も演じることに意外さを感じた。だが、他の役者さんは喜劇が似合う方々ばかり。これは喜劇として面白そう、と劇場に着いてから期待を膨らませた。

そもそも私は、それほど観劇の経験がない。WAHAHA本舗の公演も観たことがない。松竹新喜劇の舞台もそうだが久本さんを舞台でみるのも初めてなのだ。さぞや笑わしてくれるんやろと期待は高まる。

が、、、ちょっとセリフが届かない。私と妻が座ったのは1階のかなり後ろ。花道の幕から数メートルほどしか離れておらず、かなり奥まっている。場所が悪かったこともあるだろう。妻も同じように声が通りにくいとの感想を漏らしていた。久本さんだけでなく女性陣の声は総じて聞き取りにくかった。普通、こういう舞台では役者はピンマイクを胸にさす。だが、本作ではピンマイクの感度を低くしていたのか、それとも肉声だったのか。北翔さんの声はよく通っていたので、声が出せる人には届いたはず。

久本さんのコメディエンヌとしてのツッコミや演技は、かつてテレビで見た久本さんのパワーそのもの。だからこそ、もう少し客席に久本さんの声が届いていたらもっと笑いが起こったと思う。惜しい。特に、二幕の最初で北翔さんふんする東儀左近に猛烈に突っ込むシーンは爆笑すること必至なのに、声の通りの悪さが笑いを3割減らしていた気がする。

こういった舞台では生声を重視し、あまりピンマイクは使わないのだろうか。もう少し規模の小さな劇場では生声のほうが良い。それは確かだ。だが、ここまで大きな劇場だとそれも限度ではないかと思った。

音響に関してはもう一つ疑問に思ったことがある。それは、背景の音の選択だ。浪華の人情物を扱う本作の背後に流れるのは、どう考えても西洋の音階。そこにアコースティックギターが載り、歌詞はネイティブのイングリッシュだ。ロックとまでは行かないが、シンガーソングライターのような優しげな声。そのような選曲をした演出の意図は分からない。だが、その音楽がセリフを掻き消していたのはさすがにまずい。本作にはそんなシーンが何回か目立った。特に語りの内容を観客に伝えるべき重要なシーンでセリフが音楽で消されていたのはいただけない。

音楽があまり演目と合っていないとの疑問は本作の最後までついて回った。なにも大坂の人情物だからといって囃子に篳篥、三味線でまとめる必要ない。だが、音楽と内容が微妙にずれているとの違和感を与えるのはいかがなものかと思った。

あと、本作には演出者の意図と思われる演出も目立った。それは音楽だけではない。出だしからして、色とりどりのピンスポットで登場人物が紹介されるのだから。それはありだと思う。そのちぐはぐさも内容によっては作品にインパクトをもたらす。

しかし、上に書いたように西洋風の音楽がセリフをかき消すまでに自己主張することでかなり興を削がれでしまった。妻に聞いた話では、本作の大阪公演はかなり大ウケだったと聞く。大坂が舞台の本作が大阪で受けるのは当たり前。だからこそ、東京で演ずる上で新橋演舞場の音響効果も含めて検討するべきではなかったか。

幕あいにパンフレットを読んだところ、演出に錦織一清と書かれていることに気づいた。あれ?どこかで聞いた名前やなと思い、帰宅してからウィキペディアで調べたらやはり少年隊のリーダーではないか。いつの間にか演出家として活動されていたのね。色とりどりのピンスポットに流れるようなオープニング。まさに演出家のイメージそのものだと納得した。それならばなおさら、そのような感性で西洋と東洋を組み合わせるなら音響の釣り合いには注意して欲しかった。

でもそれを除けば本作は芸達者な役者さんばかりなのでゲラゲラ笑って観られる。皆さん、コメディアンも経験されている方が多い。人によっては舞台人の枠ではなく芸人枠に入っている人もいる。それらの俳優陣の演ずる喜劇は、私に喜劇のよさを堪能させてくれた。赤いきつねと緑のタヌキのところとか。あと、先にも書いたが北翔さんを夫の浮気相手と勘違いした久本さんが絡みまくるシーンとか。ほかにも本作にはくすぐりどころが何カ所かあり笑わせてもらった。

そんな喜劇人ばかりのステージにあって、北翔さんの存在感はさすがと言うべき。冒頭で真言を唱えるシーンもそうだし、上方名所の口上を見事に述べ切ったところも。宝塚でトップを張っていただけのことはある見事さだ。上にも書いたとおり、俳優陣の中で圧倒的に声が通っていたのも北翔さんだし。殺陣や唄のシーンなどの北翔さんの良さが見事に出ており、北翔さんのファンにとってはたまらない内容だったのではないかと思う。ただ、本作の北翔さんは並みいる喜劇人たちの中で二枚目路線に徹していたように思う。ところがファンである妻によれば北翔さんは実はコメディエンヌとしての素養も意欲もある方なのだという。今回は笑いとしては受け側に徹していただけなのが惜しいといえば惜しい。上に書いた久本さんに絡まれるシーンでは、ニコニコと受けていただけの北翔さん。ところが北翔さんが逆襲して久本さんを驚かすぐらいだともっと笑いが盛り上がったし北翔さんの芸の幅も広がったかもしれない。

本作は天然痘の種痘をメインプロットに据えていた。そこに人さらいと姉妹の離別と悪徳商人と悪を誅する闇組織。その流れは実にお見事。小説や漫画、舞台や映画でも本作のようなプロットは見たことがない。私は実は本作は脚本にも良い評価をつけたいと思う。流れが切れたりした部分もあったが、これらも演出をもう少し工夫すればよりよいものになるのではないか。本作も大阪で5日、東京で5日しか公演しないという。これで終わってしまうのは惜しい。本作を演出や音響から練りなおし、よりよい舞台にしてもらえればうれしい。なんといっても本作は大坂を舞台としているのだから。

‘2018/05/19 新橋演舞場 開演 17:00~

https://www.shochiku.co.jp/shinkigeki/koen/4400

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