前編のレビューで、私は、主人公、時任謙作の生き方に共感できないと、かなり悪しざまに書いた。
私自身の苛立ちを解消するためにも、本書を読み直し、内容をさらに理解するように努めた。
すると、また違った発見があった。
例えば、吉原で謙作が悪友と遊蕩に耽る場面だ。
そこで描かれる謙作は、全く幸せそうではない。むしろ、謙作は花街において苦しんでいるようにさえ見える。
何に対して熱情を注げば良いか分からず、その対象がたまたま吉原だっただけ。
遺産さえなければ、そうした場所に行くこともない。仕事をする必要に迫られれば、仕事にうつつを抜かすことで、それなりに生きる手ごたえも得られる。
他人から見ればうらやましい境遇も、謙作には生きる道を取り上げられる元凶である。
前編で謙作は、自らが母と祖父の間に生まれた子であることを知る。
愛子とはそれが理由の一つとなってうまくいかず、お栄と所帯を持とうとする企ても首尾よくいかない。
後編に入って、本書は少し違う展開を見せ始める。
まず、謙作は、直子と所帯を持つ。
大森にいたり、京都に行ったりと、まだ謙作の腰は定まらない。放蕩に近い毎日を送っている。
だが、少しずつ謙作がもがきながら何かをつかもうとする様子が見え始める。
所帯を持つことの何がよいのか。
それは、この何をすればいいかわからない世の中において碇が手に入れられることだ。
上巻では、女性たちを碇としてしか見ていないと書いた。たとえば、こんな心境が描かれている。
「彼は眠れぬままに、帰る家もなく、それを待つ人もない乞食の身の上を思い、それがちょうど自分の身の上だと思わずにいられなかった。自分の仕事が成功しようが、失敗しようが、それを心から喜ぶ者も悲しむ者もない。父や母や、同胞や健策の、しかしそれらは自分の家族ではない。それはさしつかえないが、・・・・・・こんなふうに思った。
彼は心から自分の孤独を感じた。それは今、寒い空の下に酔い倒れている乞食の孤独と変わりない孤独だった。ーー彼は急にお栄に会いたくなった。」(前編182ページ)
後編では、初めての子の死と直子の不倫の過ちを経て、それでも謙作が直子と所帯を持ち続けようとする様子が描かれる。
「後悔してもお互いに始まらない事だ。しかしこれからはお互いに安心したい。お前も二人の間に決して不安を感じてもらいたくない。」(後編273ページ)
前編では書かれているのが謙作の視点からのみであり、自分という言葉が目立つ。相手のことは考慮していない。
だが、後編のほうはここに挙げた言葉のとおり、私やお前や自分という単語よりお互いという言葉が目立つ。
伯耆大山に行って夫婦のこれからを考えようとした謙作が、伯耆大山の山頂からの雄大な景色に感動するシーンが印象に残る。そしてその後に急病を発した謙作のもとに直子が駆けつけ、
二人で生きていこうと決意するシーンで、幕を閉じる。
前編のレビューで、私は本書の価値が掴めないと書いた。
だが、本書についてもう一度考えてみたことで、私の中で本書の位置づけがより明確になった。
それは悩める青年が社会に対して足がかりを築くための家族の役割だ。
私自身、結婚によって家族の長となったことで多くの喜びも試練も味わった。家族によって縛られることの不自由さも感じる一方で、それをバネに社会的により自由な立場を手にすることができた。それも全て家族によって得た大きな効果だろう。
本書の謙作もまた、家族がない葛藤や悩みからの放浪の日々を経て結婚し、子供の死を経て、さらに妻の不倫といった打撃に打ちのめされつつも、それでもなお家族を維持していこうと思う気持ちが描かれる。
つまり、謙作が人間として成熟していく様子が、描かれているのが本書なのだ。
本書において、家庭を持つことが大きなテーマになっているのは間違いない。
実は本書は、著者にとって生涯唯一の長編小説だという。小説の神様とまで称され、文壇において不動の地位を得た著者は、短編を主に描いた作家であり、長編は本書のみだ。
そして、本書を全て書き上げるのに、25年もの月日をかけたそうだ。
その期間とは、取りも直さず著者が人生の上で経験を積んでいく成熟の時期でもあった。謙作の成長とは著者の成長でもある。
著者の生涯においても親との和解という大きな出来事があり、それは文学史でもよく語られている。
だからこそ本書は前編と後編でがらりと方向性が変わっているのだ。
当時の世相を考えても、本書が果たした役割は大きいと思われる。
明治の文明開化から大正デモクラシーに差し掛かる時代、その後の大恐慌の時期を経ている時期に書かれた本書は、日本の社会制度が大きく変動し、価値観が揺らいだ時期を表している。
その時期に家族の意味を考え、人間の成長にとって家族が果たしうる役割を改めて提示した意味で、本書は日本文学史に語り継がれる一冊であるのだろう。
私自身も本書を読み、さらに本稿を著したことで、そのような認識を得ることができた。
おそらく、この認識は、家庭を持たないままでは、味わえないだろう。
家庭を持ち、実際に経験しながら、そこで得るものと失うものを自分の中でよく吟味し、実感することでしか、本書の謙作の心境は理解できないように思う。
2020-12-23-2020-12-23
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