奔る合戦屋 下

幸せに満ちた上巻から、波乱と悲劇の下巻へ。武田家が佐久郡を窺う中、一徹は村上義清に呼び出される。そこで一徹は義清に次ぐ戦の副将に任じられようとする。一徹の危惧はあたり、義清のその案は他の譜代家臣から猛反発を受け、一徹は石堂家、そして自らがまだ村上家中にあって不動の地位を築いていないことを改めて認識する。

それを機に、石堂家は軍制を整える。郎党のうち、成長著しい三郎太を馬乗りに昇格させる。三郎太も機は熟したと見て、花に夫婦になってほしいと頼み込む。花の負担を軽くするために、一徹と朝日の養女になってはどうかと提案する朝日。

足元が固まったところで、いよいよ武田家の侵攻が迫る。村上義清に信濃統一への筋道を語る一徹。自らの理想を張良、諸葛孔明であるとする一徹の、武よりも智を迸らせたいという思いが表に出てくる。

歴史に「もし」は禁物。しかも一徹は架空の人物。それを差し置いても、ここで一徹が語った内容が実現していたら、川中島の戦いはあるいは起こらなかったかもしれない。そういう空想が読者にも許されてもよい場面である。

しかし、村上義清はここにきて限界を露呈する。そして、村上義清と一徹の主従関係にも暗雲が垂れ込める。戦の場で戦術を駆使するだけでよしとする村上義清と、さらにその上をゆく戦略を語る一徹の器の差。そして一徹には老獪さがなく、うまく義清を己が思うままに操る術を知らない。ここを著者は下巻の転換点とする。

続く章で、一徹から相談を受けた龍紀は独りごつ。「家臣の才能が主君のそれと比べて釣り合いを逸すると、互いに不幸になるのではないか」。龍紀の予感はあたり、下巻は以降、一徹にとって心地よい世界ではなくなってゆく。

武田家が佐久郡に軍を進める中、一徹の策が当たり、武田信虎を大井城に閉じ込めることに成功する。そこで敵軍の若き将、武田晴信の判断に将来の好敵手の予感を抱く一徹。さらに、なぜ村上領で武田家に通ずる者が後を絶たぬか。これを武田晴信の深謀遠慮であると指摘する一徹と、それを苦々しく聞く村上義清。もはや両者の溝は埋めようがなく深い。

我々読者は、主従二人の心が開いていく様に気をもみ、一徹の憂いを我が事のように抱くことになる。読者にとっても、一徹の悩みは心当る節があるかもしれない。なまじ知恵が回ると、組織のトップ判断や改善点が目につく。自らの信ずる道を進みたいが、組織内の力学はそれを許さず、結果、組織内での出世に破れていく。そのような人は少なくないだろう。そして、一徹もまた苦悩する。凡庸な上司ならまだよい。しかし、村上義清は戦場においては天賦の才を持っている。そのことが一徹をなお苦しめる。両雄並び立たず。あるいはポストに空きがない、とも言おうか。

よく、時代小説が支持される理由として、組織にあって活躍する登場人物に自らを重ね合わせることが言われる。であれば、一徹の苦悩は、読者に共感を呼びおこすことだろう。本シリーズが読者に支持される理由もここにあるのではないか。

本書はやがて、東信濃に位置する海野氏が越後の上杉氏と結んだ事に端を発する、海野平の戦いにいたる。仇敵であるはずの武田家と連携した村上家は、一徹の活躍もあって、海野氏を追い落とす。そして、戦後の武田家、村上家、諏訪家の協議により、武田家の軍勢は撤収することが決まる。

最終章、朝日の父が余命幾ばくもないことがわかり、三郎太などの郎党の護衛とともに、身重の朝日と若葉は帰省する。しかし、そこには撤兵したはずの武田軍の残党がおり、焼き働きとして近隣を略奪・放火していた。なぜ、撤兵したはずの武田軍がいたのか。そこには、一徹に黙って、武田軍への小競り合いを指示した村上義清の独断があった。先の海野平の戦いで武田信虎にいいように戦後の領土を画された村上義清の恨み。その器の小ささがこのような武田軍の跳梁の引き金となった。

何が起こったかはここでは書かない。結果、一徹は己を活かしきれなかった村上義清を見限る。そして村上家から暇をもらい、流離いの日々に出る。

放浪し始めた一徹は、風の噂で武田信虎が子の晴信によって駿河に追放されたことを知る。父が子の器量を恐れるあまりに子を疎んじ、その結果自らの首を絞める。立場を領主と部下に置き換えると、このことは村上義清と一徹の関係にも当てはまる。さらにいうと、このことはまた、世の経営者諸氏に向けた警句ともとれる。無論、私にもとっても。

‘2015/1/24-2015/1/24

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