もう何作目になるだろうか。ミッション・インポッシブルを次女と2人で見に行く恒例行事が始まってから。
ただ、それも本作で終わるのかもしれない。本作のサブタイトルにも、「ファイナル」の文字が含まれているから。
まだ明言はされていないようだが、本作がシリーズ最終作であることは間違いないところだろう。少なくとも主演のトム・クルーズがイーサン・ハントを演じるミッション・インポッシブルはもう最後だと思う。
実際、本作の冒頭には、イーサン・ハントの過去の貢献をアメリカ合衆国大統領が褒め称える回想シーンが続く。トム・クルーズがイーサン・ハントを演じるようになった一作目から数えて30年間。長年にわたるアクションの映像が矢継ぎ早にオマージュされる。 それを見ると、いかに超人的なトム・クルーズであろうと、年齢の衰えは隠しきれないことに気付く。
なにしろ、もう年齢は60に達しているのだ。さすがにアクションスターとしての限界は来ている。むしろ、よくやったと言えるほどだ。
本作のアクションにも無茶なシーンが続く。いつにも増してハードに見える内容である。走って海中を潜るだけならまだしも、空中を飛ぶ二機の飛行機上での格闘シーンまでが盛り込まれている。しかし、もう限界だと思う。人がやるアクションとしての必然性がないからだ。 今までのシリーズでアクションのアイデアは出し尽くし、やり尽くしたと言えるのではないか。プロデューサーとしてのトム・クルーズのアイデアや思いの丈はもう十分に盛り込まれてきた。 映画スターとしての熱意、献身ぶり、熱心さにおいて、トム・クルーズは間違いなく一流の人物である。仕事に人生をかけるという言葉は彼のためにあるのかもしれない。
イーサン・ハントのプロフェッショナルな意識の背後に感じられるのは、トム・クルーズの俳優としてのプロ意識だ。私たちはスクリーンでそのプロ意識に感化され、共感し、憧れ、そして励まされる。 まさにそのために本作を見ると言っても過言ではない。 もう、作品としては様式美として完成されている。あとは、何をアクションとして見せてくれるか。その熱意の結果を見るために私たち観客は映画館で本作を見届けるのだろう。
本作は前作から一つのストーリーとして続いている。前作と本作に共通するのはエンティティと言われる人工知能。それが見えない敵となって世界を恐慌に陥れる。
前作のレビューにも書いたと思うが、今の人類が掲げる敵、言い換えればハリウッドが仮想敵とする対象は時代によって変わってきた。
東西冷戦が盛んだった頃は、東側の某国を敵にしておけばなんとでもなった。だが、今や冷戦体制はとうの昔に崩壊している。イデオロギーの対立すら過去の言葉である。 それにもかかわらず、新たな敵を設けなければならない。それこそが人工知能である。敵すらも何か見えざるものを置くしかないところまで来てしまった。
これだけ価値観が多様化し、情報があふれる現在。 その中で観客の心を一つにつかむ敵を設定しなければならない。これは、相当に難しいことだ。そこで苦肉の策としてAI、つまり見えざる敵を据えたのだろう。 見えない敵を設定したことで、ストーリーの全体像も見えなくなってしまった。そこで、前作と本作の二部構成にし、長くなったシナリオを分割したのだろう。
前作において、エンティティによる世界への脅威が明らかとなった。 本作は冒頭から、列強の核コントロールがすべてエンティティによって奪われていく描写がなされる。最後の砦であるアメリカの核コントロールがいつ破られるのか。 すべての国の核コントロールが破られ、エンティティによって掌握された途端、世界と人類はエンティティが打ち込む無数の核によって破滅させられる。それがエンティティの目的だ。 果たして、世界と人類が滅んだ後、エンティティは何をするのだろうか。AIによって人類が滅ぼされるシナリオの王道を行くような設定に疑問が湧く。
そう考えると、本作の敵役であるガブリエルの卑小さが目立つ。エンティティを操ることがガブリエルの目的であることは前作から続く設定だが、明らかに敵としての小物感は否めない。そもそも、支配して何をするのか。これだけ情報が錯綜し、物も余っている世の中でエンティティを操って何をするのか。どうにも小物感が拭えない。
007もそうだが、本作も敵役の設定に迷走がある。過去の作品と比べて明らかに敵の格が落ちている。 だが、それも仕方ない。昨今の人工知能の驚異的な発展には、シンギュラリティーの概念を知っていた私たちですら驚いているのだから。
今の人工知能の力の前には、人のやれることなどごくわずかしか残されていない。そうなると、その力の前には、人間の敵など小物に感じてしまう。
さらに言うと、人間の敵が小物になったことは、そもそもIMFの存在意義にも関わる問題だ。
西と東。共産主義と資本主義。そのような二項対立はもう過去の遺物である。エンティティは人間にとって強大かつ見えない敵である。人種を超え、文化を超え、民族を超え、国を超えた人類の連帯を必要とする。 今の人類の争いを鎮めるには、イデオロギーや国、文化を超えた異質の存在と戦うしかないだろうと思っていた。それは、たとえば異星人による地球侵略だったりする。 このエンティティこそは、人類が共通で戦わねばならない敵なのだろう。 だが、それは人間の欲望や利害など、私たち観客が理解できない論理によって敵となった存在である。
そうなるとかえって、共通の思考パターンを持つ人類同士に連帯意識が生まれてくるのではないだろうか。 本作において、各国の核コントロールの状況が失われたかどうかが把握できる描写がある。実はもう全人類はネットワークで結ばれていることが前提となっている。 今の時点で既にインターネットは人をつなげつつある。つまり、平和はいつの間にか実現されつつあるのかもしれない。少なくとも国や宗教がいがみ合う過去に比べると。 それに伴い、IMFの存在意義も変質し、イーサン・ハントのような人物が世界を救う必要性も変わっていくのだろう。
そうしたことを含めて本作を見てみると、本作がシリーズの最後であることは間違いないだろう。 まずは改めて過去の作品を見直してみて、トム・クルーズの偉大な熱意に敬意を表したいと思う。
娘とはまた別の作品を一緒に鑑賞できるようになればよいなと願いつつ。
今回もULTRA 4DXで鑑賞したので、水しぶきや揺れ、衝撃、熱風など映画館ならではの体験ができた。
‘2025/6/6 グランドシネマサンシャイン 池袋
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